2016年12月31日土曜日

漢字「寸」の成立ちを「甲骨文字」に探る:掌の少し下の「寸口」を指す。


漢字「寸」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P388、唐汉著,学林出版社)


 「寸」は指示語である。古文の中で「寸」の字は「又」の下に短い横棒(一)を加えている。「又」は手の形で、一は指事符号をなし、掌の少し下の場所で、漢方医が脈を見る場所である。又「寸口」と称する。ないし手腕の上経脈穴位の名称である。

 上古社会では人と人の間の接近した殴りあいは結構頻繁であった。寸口のつぼを圧迫し、他人の手や素手、刃を奪うのは基本業であり、個人の生命や守るには重要である。

 また、「寸」には別の意味があり、測量時のながさを計る単位である。古人手腕から肱の曲がる部分までを一尺とした。(これは身に着けた尺度である。)手掌から寸口までの距離を一寸長とした。このことから個人は将に長さを測る単位の名称である。10寸は一尺。寸の距離は短いので、寸は又短い小さなものの形容となった。「寸土、寸歩、寸陰、寸心」等。

 因みに漢字源によると「寸」とは、会意文字で、手の指一本の幅のこととしている。周代は大尺の一寸は2.25cmであった。小尺の一寸は1.8cmであったとしている。


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2016年12月26日月曜日

漢字「入」の成立ちを「甲骨文字」に探る:矢頭を形に表した


漢字「入」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P569、唐汉著,学林出版社)


 「入」は象形文字である。甲骨文字と金文の「入」の字は、矢の頭の刃の形をしている。小篆と楷書はこの一脈を受け継いでいる。「入」は頭が鋭いもので、竹の先のようなものの端の頭。但しさらに形は矢の先みたいに、とがった頭のため容易に物体に差し込まれるものである。このため「入」の字の本義は進入である。 説文の解釈は「入、内」である。「出」とは相反している。
 現代漢文中で踏襲されてきている「入场、入冬、入会、由浅入深」などの言葉で、「由浅入深」の意味は拡張されていて、「出すために、入るを量る」という意味だ。また「合乎」(合致する、かなう)の意味にも拡張されている。
 唐代の詩人の朱庆余の《近试上张水部》:「妆罢低声问夫婿 , 画眉深浅入时无。」の中の「入时」の考えは時に合致するの意味を含んでいるようで、その一つの様式で、「入情入理」(情理を尽くす)などがある。


 因みに「漢字源」(藤堂明保、学研)によれば、この「入」は「指示語、象形文字のいずれにも考えられる。中に突っ込んでいく様を表現したものとある。 」
 唐漢氏の説は、少し飛躍があるように思う。何故、矢の先なのか分からない。甲骨文字からは藤堂氏の案が素直で分かり易い。しかし、これが漢字学なのだろう。



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2016年12月24日土曜日

漢字「矢」の成立ちを「甲骨文字」に探る:鏃、矢竹、羽、括まで含めた象形字。


漢字「矢」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P568、唐汉著,学林出版社)

 我々日本人には「矢」という名称が一般的だし、なじみも深い。しかし、ここに引用した解説では、中国では「矢」という名称より「箭」という名称が一般的であるかのような説明がある。実際のところどうなのだろう。もう少し当たってみるが、今日のところはこの説明を一先ず受け入れて、究明は少しの間ペンディングとしておきたい。


出典「汉字密码」、学林出版社
 「矢」は即ち日常的にいうところの「箭」である。弾を射る弓を弾弓という。弓と此れをいる矢は併称して弓矢という。甲骨文字と金文の「矢」の字は上端は鋭利な箭頭で、中間は箭杆、下端は鳥の羽を結わえた箭尾である。矢の字は即ち「箭」の象形字である。小篆は下部の先の羽がいわば変化して、二股になった。楷書はこの関係からついに象形の意味を失っている。
 矢は「镞、杆、羽、括」の4つの部分の構成品から矢の前端で刃のある三角形の殺傷作用を持つ。商代には既に銅製の鏃が盛んになっていた。但し大量の骨、角、石も使われていた。矢のさおの部分は竹が主で、矢竹が製作に多用されていた。矢の尾の部分の矢の羽は飛行状態を安定させる作用を持っている。屋の羽は大鷲の首の部分がよく、鷹の羽はその次で、鴨や梟の羽は次の次だ。雁やガチョウの矢は風があると斜めに蛇行し、質がよくない。矢の底部のくくりの部分は弦を結んで用い、商代には矢の底部に多くはノッチを入れていた。
 矢の字は古代では誓うという意味に用いられた。この事は古代に約束をする時、矢折って互いに攻撃をしない意思を示したことと関係があるかもしれない。
 《左传》の中に「杀而埋之马矢」の中の「马矢」の一語は、「馬屎」のことだ。「馬矢」と「馬屎」とは矢と屎は同音であることによる。古人は文章中に「屎」の語があると品を落とすので「矢」を使ったようだ。この用字法は文字学上「避俗性的同音假借」と呼ばれる。
 「矢」の字は部首字で、漢字中「矢」が組成上あると、大概「箭」と関係がある。


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漢字「至」の成立ちを「甲骨文字」に探る:矢が地面に到達する「そのまんま」の字形を表す


漢字「至」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P574、唐汉著,学林出版社)


 「至」これは象形文字である。甲骨文字の「至」の字の上部は逆さに書かれた矢で、頭を下向けにした矢である。下部の横一は地面を表示している。全部の字形は射出された矢が地上に落ちて達した様である。到達した意味である。小篆の字形は形を整えたものである。但しまだこの時点では古い文字の特徴は保留されている。
「至」は《玉篇》は「至、到」なりと解釈している。「至今、至此、自始至终、朝发夕至」の言葉の中の「至」の通りである。
成語「至死不变" 、 "至死不悟」の中の2つの「至」の前者は、「死に至るも変わらず」後者は、「死に至るも尚悟らない」ことを意味している。「弓箭落地」も矢が終点に到達したことを表示している。いわゆる至の字は「終点、最、極」の意味に拡張されている。
「至理名言、 至高无上、至亲好友」の「至」は皆極、最を表し、古代の孔子に対する尊称で「至圣先师」の中の至は、道徳的に最も高尚であることの形容である。
 24節の「夏至、冬至」両者とも節気を表している。「夏至」はこの一日が北半球で昼間がもっとも長い日であるし、夜が最も短く、夏至はその正反対を表す。夏至と冬至の中の「至」の字は、均しく太陽運行が南北回帰線上にいて、夜昼の長短が極点に達する時である。
 「至」は漢語中、連句を作り、一つのことから別のことに到達する程度と範囲、結果を表示する。「至于、竟至于、以至于」など等。(程のことになる、思いがけずついする、・・なるまでする、さらに・・までする)


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2016年12月23日金曜日

漢字「弗」の成立ちを「甲骨文字」に探る:縄を用いて、二つの矢を束ねるさまを表している。


漢字「弗」の起源と由来

 2016年アメリカ大統領選挙でトランプ氏が大統領に選出された。此れに伴いトランプ旋風というべき流れが起こり、アメリカの弗の金利の見直しもあり、バブルの再来というべき様相を呈している。アメリカの実体経済は既に末期的症状に陥っているにも拘らず、トランプのいう「強いアメリカ」の再来に期待しての好感である。しかし、アメリカの経済は既に破綻しているにも拘らず、実態はなんら変わらないにもかかわらず、株価だけが上昇するところにアメリカの病根は深刻になっていると見なければならない。
 さて、このドルに対して、日本では「弗」という漢字が当てられている。これドルを表す記号「$」に表記手kにはよく似た「弗」」を当てたもので、漢字の本来の「弗」の本義とはなんら関係がない。それは当然のこと甲骨文は今から4000年に生まれたもので、そのころには「弗」という貨幣はなかったからである。


引用:「汉字密码」(P578、唐汉著,学林出版社)


 「弗」は象形文字である。甲骨文字の「弗」は縄を用いて、二つの矢を束ねるさまを表している。金文の弗の字は甲骨文字の後の字形と相同である。縦線二つは矢竹或いは矢竹の矢を束ねる道具のようで、「己」ないし束ねる縄である。金文から小篆と楷書には大きな変化はない。
 弗は縄で縛ることに源がある。但し漢語の中では「弗」の本義は既に消滅している。但し元通り使用されている「弗」の拡張された意味は不に当たる否定の意味である。 この一意的な使用は矢竹を緊縛後征戦の殺戮のために再び使用しないことから来ている。ないし「非戦」明確な表示である。
「弗」の字は部首字である。組字の構成要件中声符出ることが多い。「费、纷、菇、拂、佛」の如く、その中の「弗」は「緊縛か否定の意味である。


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2016年12月21日水曜日

漢字「令」の成立ちを「甲骨文字」に探る

漢字「令」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P649、唐汉著,学林出版社)

 左の甲骨文字のヒエログラフの中の三角形は昔から男性のシンボルとして使われてきた記号であり、軍隊の記章などでもおなじみのものである。映画「ダビンチ・コード」でも、詳しく説明がされていた。





「字統」の解釈
 「字統」では白川博士は「礼冠をつけて、跪いて神意」を聞く神職のものの形。上部は三角形に似た深い冠の形である」と説明している。
 しかし、古今東西を問わず、山形の形が「男子を象徴するシンボルである」ことは古くから言われて、いわば定説のようになっており、白川氏の「冠である」という解釈も、上古の時代の男性信仰が、権威の象徴として、神職の冠となったとも考えられ、いわば後付の冠も否めない。


唐漢氏の解釈
 大腿のマタで佇立する権威を表す男性の下で、一人の跪いた人があるときこの種の景色がまさに令の字の生活の源である、また三角は男性の性器の普遍的意味を表すこととも符合する。
 命令からの意味からまた拡張して「~させる」の意味が出る。

「漢字源」の解釈
 因みに、藤堂明保編{漢字源」による解釈では以下のようである。


「△印(おおいの下に集めることを示す)+人のひざまづく姿」で、人々を集めて、神や君主の宣告を伝えるさまを表す。
たしかにこの解釈のほうが、唐漢氏に比べて上品ではあるが・・。

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2016年12月20日火曜日

漢字「命」の成立ちを「甲骨文字」に探る:命と令は同源同字。命の本義は口を用いて命令を発すること


漢字「命」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P650、唐汉著,学林出版社)


 令と命は同源同字である。甲骨文字の上部は男の露出した生殖器だ。下部は膝づいた人だ。この命の字は令の字と相同と見ることが出来る。金文の左下には一個の「口」を加えて、膝づいて臣服していることを表しているばかりか、さらに口を用いて命令を発布していることを表している。小篆の形は金文の直接変化を受けて、楷書では命と書く。


 命の本義は口を用いて命令を発することで、即ち上級から下級への指示の発布である。
 上古の統治者は下属のものに命令を命と同じに見ることを要求した。だから命の字は拡張して、生命または性名となった。『论语•雍也』の中の記載に顔淵は「不幸短命死矣」(不幸にして短命で死んでしまった)とある。
 古人は社会的治安の乱れ、興衰と個人の禍福・失敗や成功は天意の按配と考えた。このことからまた天命、命運という言葉がある。『论语•颜渊』の中の「死生有命,富贵在天」(生死は運命、尊さは天にあり)と。

 「命」「令」の言葉は皆「させる」という意味を持っている。但し少しの差異はある。「命」は専ら上級から下級に下達する命令に用いるのに対し、「令」一般的な意味の上での「使役」(させる)という意味である。動詞を作り「令」は目的語を伴わない時がある。『论语•子路』の如く、「其身正,不令而行;其身不正,虽令不从」(その身正しければ、令せずして行わせ、その身正しくなければ、よしんば令をしても従わせられない)


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2016年12月19日月曜日

往復の「往」の成立ちを甲骨文字から探る


漢字「往」の起源と由来
原義は王が領臣民を率いて、前に行くことことを表している。

引用:「汉字密码」(P397、唐汉著,学林出版社)


 「往」は会意文字であるし形声文字でもある。甲骨文字の旁は本来手ではない。上部は「止」で、歩いていくことを表している。下部の「王」は王が領臣民を率いることを表している。金文の往の字は行人偏を加えて道路の符号になって、行人偏と旁から会意兼形声文字になっている。小篆も金文を受け継ぎ、楷書から隷書への変化の過程で、将に右上部の「止」が一点に簡略化され、「往」になった。
 「往」の本義は王が率いて統率する集団が前に行くことで、即ちある場所に行くことである。後に拡張され人が前に行くこととなり、「来、返」(来る、返る)に相対し「来て而して往かず、往って而して返らず」などのようになった。
 上古の先民が見てきたのは、死んだ王も又人間の去去来来にありうることであった。このため時間上の過去を拡張して、「往日、既往不咎」などの如く、「未来」と相対した。
 「去往」の意味から拡張して、抽象的意味の心理が向かっていくになり、「往」は「朝、向」の意味を持ち、「往前奔、人往高处走」などと使われる。ここでの「往」の発音はwangである。 「往々」は既に「ところどころ」を表示し、又「常々、毎々」を表示可能である。


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漢字「歩」の成立ちを「甲骨文字」に探る:左右を併せて一歩としていた


漢字「歩」の起源と由来

歩くということ
 甲骨文字では、足跡が二つ前後に並んでいる状態を表している。つまり「歩く」ことを表している。この歩くという行為が、あって、これを長さの単位とするようになった。今でも計測器のないときには、実際に歩いて長さを測定することが日常的にもある。

 日本では、片方の足を踏み出すことを一歩としている。ところが中国では、片足を踏み出したぐらいでは、「歩く」つまり「一歩」とはいわなかったらしい。あくまで、右、左と両足で踏み出して初めて一歩とカウントしたということだ。そう言われればなるほどと思う。「歩く」という概念もなかなか奥が深い。


引用:「汉字密码」(P394、唐汉著,学林出版社)

 歩は象形文字である。甲骨文字と金文の歩は両足の足跡が一つは前に一つは後ろにあることを表して、足が交代で前に行くことを示している。歩の本義は歩行である。歩兵、徒歩、等。
 「步步为营」この成語は、言っているのは軍隊が前進する時、前進の一歩一歩陣地を固めながら前進することである。まるで人の一歩の足跡を「稳扎稳打」(着実に根をおろし、着実に戦う)の形容することで、注意深くあるという事である。
文字の変化の過程で小篆の歩は象形から抜け出て、符号化の方向に発展し、楷書を経て隷書にいたって「歩」と書くようになった。


「歩」は長さの単位
長さとしての「歩」は、古代中国の周代に制定された。右足を踏み出し、次に左足を踏み出した時の、起点から踏み出した左足までの長さ(現代日本語でいう「2歩」)を「1歩」とする身体尺で、約 1.35 m(面積は 1.822 m2)だった。

 実際の1歩の長さは時代によって異なる。秦・漢では6尺と定義された。当時の尺は約23cmであり、1歩は約1.38m(面積は 1.9 m2)となった。その後、尺の長さが伸びるのに比例し従い歩の長さも伸び、隋代には約 1.77 m(面積は 3.14 m2)となった。

 唐代には5尺、つまり約 1.56 m(面積は 2.42 m2)となった。ただしこれは、歩の長さ・面積が変わったというよりは、尺が伸びたことに対し歩を変えないようにした結果だとする説もある。唐の大尺は小尺の1.2倍なので、大尺5尺は小尺6尺に等しくなる。



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2016年12月13日火曜日

漢字「鋳」の成立ちを「甲骨文字」に探る:鋳造そのものの情景が文字になった

漢字「鋳」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P776、唐汉著,学林出版社)


 「鋳」の原本は会意文字である。甲骨文の「鋳」の字は、その上部は二つの手で、中間は鬲(ここでは古代の土鍋を現している)で、下部は皿であり、三つの形の会意で、両手で土鍋を持ち、下面の皿のようなものの中に銅液を流し込んでいることを表示している。即ち銅器の鋳を現している。
 金文の「鋳」には二つの形があり、一つは甲骨文字とよく似ている。もう一つは中間が象形で、鋳の通り道と空隙を強調している。小篆の鋳は金文を基礎として変化し、金と寿の音で形声字となり、楷書はこの関係で「鋳」と書く。形は複雑化している。 鋳の本義は、金属を流し込んで成器することである。
 説文では「鋳」を解釈して鍍金をすることとしている。金属を赤く熱して、鋳器にすることを指している。美しい金を鋳て剣を作ることとしている。この事は最も適した金属を用いて兵器に鋳造する。古い文献によると中国の鋳造技術は夏の時代に始まるという。


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2016年12月12日月曜日

漢字「飛」の成立ちを「甲骨文字」に探る:鳥が飛んでいる様を形容したもの。・・象形文字


漢字「飛」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P80、唐汉著,学林出版社)


 飛は楷書の繁体では「飛」と書かれる。金文の飛の字はまるで一匹の鳥が空中を飛んでいるときの正面から見た図である。小篆の形の源は一匹の鳥がますます遠くに飛んでいる形状で、下辺は翼を広げて、力を込めて羽ばたいている様を示している。中間の縦線は飛行路線を示し、上部は鳥が次第に遠くへ、省略して一つの翼の図形だ。 従って「飛」の本義は鳥が飛ぶことである。拡大して一般的な意味の飛ぶを概して示している。 概して言えば、すべて空中を飛ぶもの、みな「飛」という。「飞雪、飞沫、飞机、柳絮飞扬」(空中に舞う雪、飛沫、飛行機、柳ワタ舞い上がる)などなど。「飛」の字は速いこと、慌ただしいことの形容にも用いられる。「飞奔、飞快」 (飛ぶように走る、飛ぶように早い)など。また意外なこと、根拠のないことの表示にも用いられ「流言飛語」の如し。

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2016年12月10日土曜日

漢字「習」の成立ちを「甲骨文字」に探る:雀が飛ぶことを学習すること。


漢字「習」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P79、唐汉著,学林出版社)


 習の字は甲骨文字中では、会意文字である。図に示すように、上辺の「羽」は鳥の両方の翼を表す。下辺は「日」の符号に似ている。両形の会意で、鳥の飛ぶことの学習を表す。
 小篆の「習」の字は下部の「日」は変化し、羽と自の会意文字で、自分が飛ぶという意味も含んでいる。「説文解字」では「習は飛ぶことを教えるなり」
 論語でも、論語で『学而时习之,不亦说(悦)乎』とあるのは、学ぶというのは習うことで説することと同じはないとある。
 また、このことから延長して、「習」とは「習慣、習性」のような繰り返す意味もある。习非成是(間違ったことでも習慣となると、それが正しいと思うようになる)、习以为常(慣れて当たり前になる、特別の事でなくなる)などなど。


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2016年12月7日水曜日

漢字「鳥」の成立ちを「甲骨文字」に探る:甲骨文字の「鳥」はどこから見てもやっぱり鳥だった!


漢字「鳥」の起源と由来

引用:「汉字密码」(P63、唐汉著,学林出版社)

基本を失ってしまった象形の特徴は、鳥の足跡が4個の小さな点に変ったことだ。簡体字になってその四個の点は横一線に変ってしまった。これでもう鳥の足跡とははるかに離れてしまった。
  鳥の本義は大よそ全ての飛ぶ鳥を指す。また今日言うところの鳥類である。唐詩の中にある「云开孤鸟飞」「鸟鸣山更幽」などの詩句の「鳥」は大よそ全て飛ぶ鳥を指している。「鳥瞰」の言葉は、鳥が高いところから地面の景色や物を見たときの俯瞰したと同じ像を表示している。
 鳥の字は部首字で漢字の中では、「鳥」で以て偏でも旁でもなる。全て禽類とその行為は関係がある。例えば「鳴」は鳥と口の字の合成で、鳥が鳴き叫ぶことを表している。また「島」の字は鳥と山の造字の構造部材が組み合わせ、海上で鳥が休息する山を表示している。



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2016年12月2日金曜日

漢字「雉」の成立ちを「甲骨文字」に探る:矢と隹とから「雉」の字が出来た


漢字「雉」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P66、唐汉著,学林出版社)

 昔松山に住んでいた、母が関東大震災の時に、裏山で雉がけたたましく鳴くのを聞き、何か起こったのではないかと不安に思ったが、後で震災の話を聞き「やっぱり」と思ったのだそうだ。動物には人間の感じない何かを持っている。そんなことを思い出しながら、この記事で雉のことを書いている。キジで辞書で出て来る漢字は「雉、記事、生地、木地」だ。これ頭の体操。
 「雉」人々は又これを「野鶏」と称する。古文の中の「ウサギは犬の穴に入り、雉は梁の上を飛ぶ」。ここでの雉は野鶏のことを指している。雉は矢と隹の会意文字である。矢は即ち俗に言う箭のことで、箭は射出後直線飛行をする。但しどのように飛ぼうとも、地に落ちてしまう。さらに一般的にはそれほど遠くへ飛べないものだ。雉も矢と同様で、脅かされると直線飛行をするが、数十メートル飛ぶと落下してしまう。雉は矢の類のように短い尾の鳥であるために、野鶏はいつも弓矢で捕獲されてしまう。このため古くから今日に至るまで、漢字の中では矢と隹の組み合わせで出来ている。
しかし金文と小篆の間の字形の差は大きい。古代雉は城郭の体積の計算の単位に用いられた。長さ3尺で高さ1丈を「一雉」とし、おおよそ雉が一家に飛ぶのが、三尺の距離で一丈の高さであることによる。《左傳・隠公元年》のごとく、「都城过百雉 , 国之害也。」これは、春秋時代、諸侯の住む城は全て300雉を超えることは出来なかったし、諸侯が封じる人の住む城は100雉を超えることは出来なかった。もし超えるならば、国家の災いとなった。

 因みに、鶏も分類では「雉科」に入るそうだ。


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2016年11月28日月曜日

漢字「旧」の成立ちを「甲骨文字」に探る:ある種の大型の鳥が他の鳥の巣に侵入し荒らされ打ち捨てられた巣のこと

漢字「雀」の成立ちを「甲骨文字」に探る:小さく尾っぽが短い鳥を示す「隹」の頭に多いことと小さいことを示す修飾図が付いたもの


漢字「雀」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P64、唐汉著,学林出版社)


 「雀」の字は会意文字である。古文中の雀の字は、均しく隹の頭の上に三つの小さい点がついていて、数が多いこと(古人は3は多いことを言う)と小さいこと(又古文の小さく見える)を表している。通常集まってきた雀や山雀を示すのに好んで用いられる。この種の鳥の体形は多くは太っていて小さい。群れを成して飛んできて飛び去るのが好ましい。人々はこの種の鳥を小雀と呼ぶ。《诗.召南 .行露》の中のように、「誰が言うのか雀には角がないと。何を以ってわが家をうがつ」
 以後小型の鳥を大雑把に雀と称する。楚国の詩人宋玉の《高唐赋》では「多くの雀ががやがや騒がしく、雄雌がしゃべっているワイ」
 漢字が長く使用され、変化していく中で、少し法則性のない混乱も発生する。例えば鶏は古文中では「旁を隹」と書いていた。
又常には「鶏」とかく。右辺の部分が鶏や隹になるがどちらでもいい。大概は現実には長い尾の雄鳥であったり、また太った尾の短い母鳥であったりする。古人は実在では鳥が長い尾の鳥か、短い尾の鳥かは区別しがたいので「鳥」と「隹」の中はみな一つの区分しかない。
 因みに日本では焼き鳥は現在では、鶏を焼いた料理を言う。筆者が思うに昔は焼き鳥といえば雀ではなかったろうか。今は雀は余り見かけないが、私の子供のころはそれこそ喧しいぐらい周りにはいたものだ。値段も鶏に比べ格段に安かったろう。4つ足を嫌っていた日本人も鳥は二本足だから重要な蛋白源ではなかったろうか。
 もう一つ本文中では雀は小さくて太っている。と書いているが、実際雀は毛をむしると太っているどころか、骨と皮ばかりで肉は殆どない。それがコリコリして美味しいわけだが、どうして太っているという風に考えたのだろうか。毛があると確かに少し丸々とはしているように見えるのだが・・。ああいうのを「毛太り」というのかな?


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2016年11月26日土曜日

漢字「隹」(フルトリと読む)の起源・由来を「甲骨文字」に探る


漢字「隹」の起源と由来

引用:「汉字密码」(P63、唐汉著,学林出版社)

 来年の干支は「酉」。鳥の語源を調べてみた。鳥を現すものには色々ある。「酉、鶏、鳥、禽、隹」など等

 「鳥」の字を除き、字の中で鳥の種類を現す象形文字は隹(「佳」ではない)。隹も又頭、羽、身、足の鳥の形の全体を具えている。この字はフルトリと読む。

 早期の甲骨文字中鳥と隹は元々同一の字である。
 即ち、鳥は隹で、隹は鳥である。鳥と隹は同じでないところから始まった。鳥は尾っぽの長い鳥を称し、"隹"は尾の短い小鳥を称している。

 「説文解字」の許慎の記述を細かく調べると、鳥は尾の長い鳥の総称であり、隹は尾の短い鳥の総称である。



 隹は現今の漢字の中では既に独立してない字になっており、編や旁になっている。およそ全ての「隹」を含む字は鳥類を現している。すべてずんぐりした隹の形態を有し、集合的な集まりの意味を持っている。これだから隹は小さい小鳥の群れを意味している。例えば高く盛られた土は「堆」と書き、いわゆる堆積である。即ち次第に集まって一箇所に集まり一団となったものである。農家の春の米の臼、即ち「碓」(石編に堆)を用いて細かい穀物を集めることを現す。
そのほか准、維などの字のごとく、全て細かいもの(水、糸)を集める意味をもっている。 鳥類の内、雁、雛、雀などは寄り集まるのを好み、群れなして暮らす鳥である。これによって、それらの名前もまた隹が造字の用件となっている。



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2016年11月25日金曜日

漢字「鶏」の成立ちを「甲骨文字」に探る:卵ではない!やっぱり鶏だった。


漢字「鶏」の起源

引用:「汉字密码」(P65、唐汉著,学林出版社)

 図に示すごとく、甲骨文と金文の「鸡」は頭、冠、くちばし、眼、身、はね、尾、足全部備わった鶏の横から見た形状にそっくりだ。甲骨文字の2款目の「鸡」の字は一本の縄で住宅につながれた鳥と見えないこともない。このことは殷商時期の先民は既に鳥を縄で繋ぐ方法で鶏を慣らし飼いしていたことの証拠である。小篆の鶏の字は既に変わっていて、形声と会意の字になっていた。


 現在中国の農村では家の庭に鶏を放し飼いにしていて、数千年来順化飼育し、鶏は飛べないようにして、同じ種の「雄鶏」も一様に少ししか飛べないようになっている。紐で住宅につながなくても、放し飼いが出来るようになっている。
まさに甲骨文字、金文のデッサンで示しているように、図中の鶏は全て時をならす雄鶏として描かれている。かえって母鶏の形がない。このことは時計のない上古社会では、ただ時を知らせるだけの雄鶏が、毎年一匹で数十匹のますの鶏を産み落とす母鶏の何倍もの実用価値を持っていたかもしれない。個人が鶏を飼育するのは、鶏の時を知らせる功能を重視したかもしれない。

 古代社会では雄鶏は人々に時を報せる神として尊称され、ひいては人類の祭祀すら享受した。原因は鶏が「通天神霊」であることにある。
 はっきりしない真夜中の時刻を知り、太陽が何時昇るかを知ることは、もっとも聡明な人でも行う方法がない。古人が見るに鶏(雄鶏)を飼うのは時間を知るためであり、暗闇の中の鬼や妖怪を駆除するためであり、母鶏を飼う目的は、ただ雄鳥を絶やさないようにするためだけだ。これが古文中で「鳴」が元来雄鶏示すためだけの字である原因である。


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2016年11月24日木曜日

漢字「禽」と「獣」の成立ちを「甲骨文字」に探る:「二足で羽のあるのは禽で、4足で毛のあるのは獣という」


漢字「禽」の起源と本来の意味は

引用:「汉字密码」(P120、唐汉著,学林出版社)

 禽もまた会意文字である。金文の「禽」は上下が結びついた構造をしている。下部は畢(古代の狩に用いられた長柄のついた網)乃至長柄の捕捉網で、上部は記号「A」で、元々は男性の生殖器を表す符号である。この表示では一匹の色彩班と端の雄鳥を捕まえている。
小篆の「禽」の字は上部は「今」に変わっている。今の元の漢字は男子の射精であり、また現実の現在という意味である。
 別の角度からいうと、「今」はここではすでに発声記号であり、また一匹の美しい雄鳥を捕捉したことを表示したといえよう。
  「禽」は動詞を作って、鳥獣を捕まえることを指している。《逸周书・燕策》で、「武王狩りをし、虎22匹を捕まえた(禽)」。この意味は後に哺乳する「檎」を示す。「禽」は名詞を作り、すなわち鳥獣を捕獲することの意味になる。《孟子・滕文公下》の如く「終日一禽も捕まえず」。後にはまた狩りをする対象をいい、《説文》ではこれによって、禽は獣の総称としている。华佗は「五禽戦」を創立したとあるように、「虎、鹿、熊、猿、鳥」の5種類の禽獣の動作を模倣し、鍛錬する身体的方法である。(华佗は後漢の末期に活躍した医者)「禽はまた特に鳥類を指す。「飛ぶ禽、走る獣、家禽」等。《尔释》の注曰く、「二足で羽のあるのは禽で、4足で毛のあるのは獣という」


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漢字「敗」の成立ちを「甲骨文字」に探る:鼎を打ち壊すこと


漢字「败」の起源と由来

引用:「汉字密码」(P683、唐汉著,学林出版社)

「败」は「敗」の簡体字である。甲骨文字の「敗」もまた会意文字である。左辺は「鼎」の象形素描であり、手で棒を持って、叩いている様子である。もともとは会意で杯を壊すことを表している。俗語の「あなたの家の茶碗を打ち砕く」と同様のことだ。金文の旁は二つの貝となり、貴重で、値打ちのあるということをあらわしている。小篆と楷書ではこのことから「壊す、名誉を傷つける」。
 説文では「敗」を「壊すこと」としている。本義は杯を壊すこと名誉をきずつけることである。《韩非子•难一》にあるように、法败損なわれて国乱れる。「法败」とは誰でも護らなければならない儒教の教え(道)が損なわれるの意味である。  「毁坏」は拡張され、凋落する、落ちぶれるの意味である。「花开败了、肉腐败了」(花開いてしおれ、肉腐る)の意味だ。「毁坏」はまた拡張され、物事の失敗、成功しないことを表す。「敗北、負けて泥、成敗得失」など。
  「敗」は動詞を作り、敗れる、ヤブルの自動詞と他動詞になる。目的語のあるときは、別人を打ち破敗る。甲隊は乙隊を打ち敗る。のごとく。目的語のないときは、「自分が敗れる、甲隊が敗れる」のように使う。


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2016年11月23日水曜日

漢字「余」の起源・由来を「甲骨文字」に探る


漢字「余」の起源はいかに?

 2016年11月23日「毎日新聞」の朝刊の余禄で、余震が取り上げられていた。その中で、漢字「余」の成り立ちが、白川さんの「常用字解」を引用してかかれてあった。
 漢字の「余」はとってのつい長い針をかたどっている。白川静の「常用字解」によると、余はうみを摘出する手術に用いられるほか、土中に突き刺して地下の悪霊を取り除く呪具に使われた。これで悪霊をはらい清めた道が「途」だという。できるならば地中の魔を封じるのに用いたい余が、逆に震災の被災者の心につらい記憶を呼び起こさせる針となってしまう余震である。
 一方、「漢字起源説」のサイトでは、同じ「余」という字の成り立ちについて、中国の唐漢氏の著作を引用して、以下の様に解説されている。


「余」もつ意味の一つは「余り」。甲骨文字の余の字は指示語である。その中の上向き△と縦棒は男性の生殖器を表す。左右の短い横棒はVの形をしていて、下に向かって指示しているように書かれている。字形を整えてみると男性生殖器が性交後疲れて柔らかくなりブラブラしている様子を示す。男子は常に性交と養育を自らの誇るべき資本とする。だから余は我の意味があり、拡張され第一人称代詞である。

 この唐漢先生の説明は、さもありなんとと思うが、少し突飛過ぎて、「本当かな?」と疑念を持たざるを得ないが、ここではどの説が正しいというつもりもないし、又その資格もない。
 もう一つ、「漢字源」(藤堂明保編、学研)では、以下のように説明されている。

①会意字で、スコップで土を押し広げる様+八印で、ゆったりと伸ばし広げるの意。「余」を我の意味に用いるのは、当て字である。
② 会意、形声文字、食物がゆったりとゆとりのある意味を示す。

 ただこの解釈にせよ、この起源1500年前の時代にスコップというのはどうも腑に落ちません。
 実に三者三様ですが、ただ、文書や情報もない有史以前の事柄は、周りから「ああでもない、こうでもない」と、このように類推していく以外に方法はない。唐漢先生の見解も、突飛に感じられるかもしれないが、実際にあったかもしれないと思う。案外そんなところが面白いのかもしれない。


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2016年11月22日火曜日

来年の干支は「酉」です 漢字「酉」の起源・由来を「甲骨文字」に探る


漢字「酉」の起源と由来

「汉字密码」(P877、唐汉著,学林出版社)
読み方:(音) ユウ (訓) とり 

 酉は象形文字である。甲骨文字の酉の字と半坡遺跡から出土した底のとがった陶器のビンの形はよく似ている。
 この字は男の象徴を表す「且」の字をと同源である。これによって酉の字の本義は男の嬰児である。母を知るが、父を知らない母系社会で男子の血縁はせいぜい下に向かって下る辿る他ない。
  申と酉の字を互いに受け継ぎ、一つは女性の共祖一つは男性の後代に対応している。(「申」を参照) 酉の字は早くから十二支の名前に借りてその本義を失っている。酉の字が構造的に酒瓶の字に似ていて、男性の祖先(先王)に酒を祭り福を祈願することから、言葉が転移し、十二支の酉と醸造の酉が混淆したものだ。
 金文の酉は既に完全に酒瓶の形状をしている。このことはこの時代には製陶技術が大きな発展をしたためである。酉瓶は既に酒を醸造するための瓶となり、酒盛りの専用器具となった。原本の酒の字は水の形を省いた後、酉となった。金文から小篆は変質し、楷書は酉と書く。   酉の本義は逆さまの「且」である。底のとがった陶器の瓶である。即ち器の皿として酉は「尊」の初めの文字である。酒を盛る器を示し、指事詞に用いられる。(「尊」は甲骨文字では、酒瓶即ち『酉』を両手でささげ持つ形をしている。)
 「酉」は
十二支の表示に仮借されて、十二支の10番目をあらわす。元々上古先民は男根信仰があり、酒を男根にささげていた。嬰児が大きく成長して、子々孫々絶えることなく栄えることを希求した。時間をあらわすと午後5時から7時を表す。酉は部首字で漢字の中では「酉」は組み合わせて、字を作る。酒と大いに関係がある。酝、酿、酔、醒などなど。 
 この説明は、少しこじ付け臭いが、男根信仰は日本でも見られ、強ち否定は出来ない。 
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2016年7月27日水曜日

漢字:鼎(かなえ)の起源・由来を「甲骨文字」に探る

 先に鼎の故事に触れた。今回は鼎の文字の起源と由来に触れる。
 鼎とほとんど同じ用法で、形象もよく似たものに「鬲」がある。説文でも鬲の説では「鼎の一種」というように書かれている。年代的には鬲は鼎より数千年前に世に現れ、新石器の時代に長く人々の煮炊きに使われていたようだ。素材も土器であり、鼎のひと昔前の時代のものと言っていい。一方鼎は素材は青銅器でつくられ夏から殷、周において、煮炊きに使われてもいるが、祭祀や権力の象徴として、王室で用いられていたようである。


引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

読み方:(音)てい (訓)かなえ

 「鼎」は説文解字で三つの足と耳が二つの味付けするための器である。それは「煮炊き用の祭祀用具であるという。
 鼎は象形文字である。上端は鼎の両耳があり、中間は腹部になり、下面は三つの足がある。
 金文の形体は少し変化している。腹部に横線が一本増えて、鼎の外部の図案に表示している。 また煮炊きする食物といえないこともない。小篆はすでに美化されて形を失っている。上辺の目の部分が鼎の腹を表している。これは実際上鼎の方形の形になっている。楷書の鼎は小篆を引き継ぎ形体上の基本は一致している。 


 古の時代は鼎は煮炊きする炊事によく使われた。考古学で発掘されたものには、そこに煙臭い臭いのあるものが多くあり鼎が煮炊きに用いられていた証拠であろう。煮炊きする食物を除くと鼎は祭祀の時肉を盛り付けるのに用いられた。このことから発展する氏族や貴族の礼拝堂の礼器に用いらされた。だから鼎は政権の象徴である。「鼎」にまつわる故事を参照願いたい。 鼎は煮炊きする器に用いられていることから政局が不安定なことを表すのに「鼎沸」という言葉が派生した。また、鼎が盛大の意味に拡張されて、成語のなかで「大名鼎鼎」(有名だ、著名だという意)という語が生まれた。

 日本での話で、兼好法師の著した「徒然草」という随筆に、仁和寺の法師が酔った勢いで、鼎を頭にかぶってふざけて遊んでいるうちに、鼎が抜けなくなり大騒ぎをしたという話がある。場を盛り上げようとしておどけた悲劇であるが、何となく滑稽に見えてしまう。日頃の行動には気を付けたいものだ。




  この鼎ともう一つの鬲(訓読みではこれもかなえとよぶ)用途は非常に似通っている。一方は年代が鼎に比べるとはるかに早い時期の遺跡から発見されていることを考えると、まず鬲がうまれ、その後それが発展した形で鼎が生まれたと考えていい。
 しかしいずれも甲骨文字にあるということは、それらが同じ時期に併用されたことを物語っている。実際春秋戦国時代の遺跡からも陶製の鬲(形状は鬲であり、呼び方も混在していたことがうかがえる。
  しかし、春秋戦国時代になると陶製のものは影を潜め、圧倒的に青銅器のものが多く出土するようになる。



 文字の作りでいうと甲骨文字や金文では鬲と鼎は大きな違いがある。まず鬲は三つの丸い口を持つ足が胴体と分離していないことが文字の形状に現れているが、鼎のほうは明確に足の機能と胴体(容器)部分が分離しており、文字の形体の上からも、機能が分化したのではないかと想像される。
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2016年7月26日火曜日

鼎にまつわる故事

鼎とは三つの足と二つの耳を持つ金属製の釜のことで、古代中国では祭祀、料理、表彰の具、釜茹での刑に用いられた。通常は3本足であるが、方形の鼎は3本ではなく4本の足を持つ。




 左の写真はいずれも中国の殷墟跡博物館に陳列されていた円形、方形の鼎である。
これらの青銅の鼎は、大きさはそれほど大きなものではないが、同じ殷墟の正面には非常に大きな鼎が展示してあった。この殷墟のものは、殷や周の時代のものであり、紀元前1500年のものである。
 下の写真は中国安陽にある「殷墟王陵遺跡」の正門近くに安置されている超大型の方形鼎である。これそのものが遺跡から発掘されたものかはわからない。ただし遺跡内にはかなり大きな鋳型跡が残されていたので、殷の時代にはすでにかなり高度な鋳物技術が発展していたであろうと想像している。
 中国ではこの殷が周によって亡ぼされた後、数百年を経て春秋戦国時代に入り孔子などの諸子百家の活躍の後ようやく秦の始皇帝による天下統一が完成する。



 鼎は中国の王朝においては、非常に大切にされていた。日本でいうとさしずめ「三種の神器」にあたり帝位の象徴とされてきた。
 中国に古くから伝えられている成語に「鼎の軽重を問う」というのがある。この意味は「帝位を狙う下心を持っている」という意味であり、これが転じて、「相手の内情や実力を見透かして、その弱みに付け入る」の意味にもなっている。  この成語が生まれたのは周時代の末期のBC600年ごろ楚の莊王が周王と洛陽郊外で対立していたころの逸話から生まれている。
 当時楚の荘王は春秋の五覇に数えられるほどの実力を持っていたし、天下に対する野心を持ち、周との一戦を構えようと虎視眈々と機会をうかがっていた。荘王はかねてから覇権のシンボルと言われ、周の王室に伝わるという「鼎」というものについて知りたかったので、使者にその軽重を尋ねた。使者は「鼎」について、それが夏の禹王が諸侯に命じて銅を供出させこれを用いて鋳させたものであり、朝廷が夏から殷にそして周に移ってからも700年余り周で受け継がれてきたことをとうとうと述べた後、「そもそも鼎の重さが問題になるものではない。要はそれを持つ者の徳が有るかないかが問題なるのである。鼎は常に徳のある所に移ってきており、周は衰えたといえども、鼎を伝えてきたことは天命の致すところであり、したがって鼎の軽重など尋ねられるいわれはない」と突っぱねた。荘王も力づくで奪うわけにいかず、兵を引き上げたという逸話が残っている。
 ところでこの鼎の行方は、周が滅びた後秦に運ばれる途中、泗水に沈んだといわれている。
    以上「中国故事物語」(後藤、駒田、常石著 河出書房新社)参照 

2016年6月3日金曜日

漢字:「面」の起源・由来を「甲骨文字」に探る



引用 「汉字密码」(P437 唐汉,学林出版社)

読み方:(音)メン (訓)おもて、つら  「面」は会意文字である。甲骨文字の面は、横から見た顔の輪郭に只一つの眼があるだけだ。それで人の面目を表している。小篆の面の字は未だ塞がってない囲いの中に従来通りに人の顔を表示している。人の正面の顔であるものは一個の「自」(鼻)の字がある。この字の作りの如く、鼻は人の面の最も突出した部分である。一番目立っている。人と話すとき「俺のことか」と確認するときは人差し指で自分の鼻を指す。こんな時に自分の目を挿したり、口を指す人はまずいない。昔は鼻は「自」のことを意味していた。
 《说文》では「面」を解釈して、顔の前としている。よって知り得るのは、面の本義は顔面である。楷書は隷書を経たのち「面」と書くようになった。

 「満面笑みをたたえ、面談」の面は顔面のことを言っている。  
 顔面の意味から「面」は事物の表という意味に拡張された。「地面、水面」の如くである。拡張されて、方向を表すようにもなった。「片面、面面俱到(各方面に行きわたるの意味)」等。
 又中国語では、「面」は扁平なものの量詞にも用いられる。「一面旗帜(旗幟一つ)、二つの鏡」等。"挂面、药面儿、面粉"の中の面は繁体字では「麺」と書く。両字とも形は同じではないが、簡体字を作る時、彼らは簡略化のため統一した。
 面の字は古文中では「脸」と同じではない。「脸」の字は本来両頬のことを言った。婦女子の目の下で頬の上で脂の乗っているあたりをいう。後に「脸」は使用中暫時「面」に取って代わった。遂に面の全部の部分を指すようになった。
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2016年1月21日木曜日

漢字:上の起源と由来



引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)

上は指事字である。
 甲骨文、金文の上の字は一つの横長の線あるいは弧線の上方に一条の横線を加えることで、方向あるいは一の上の意味を表している。
 後期の金文と小篆は縦線を加えることで、「二」との区別を示した。  上の本義は相対的に高いところを、上面を指している。上と下の意味は相反している。

 またこれから派生して、等級や品級の上等な事物を広く示す。上級、上流社会、上品、上好などである。古代社会もまた尊長なことを示す。また特別に皇帝を指す。「犯上、上谕」など。

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漢字:介の起源と由来

 「介」という字は現在では非常によく目にする。介護、介助犬など日常生活で、われわれがお世話になるいろいろのサービスの中で、この言葉抜きには語れない。
 その昔は、「吉良上野介」のように名前にもよく使われていた。ここでも漢字の持つ意味合いは、助けるというものである。
 この他、節介、介添え、魚介などがある。


引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)
 「介」これは会意文字である。甲骨文字の「介」は、顔を右に向けて立っている人の形である。脚の部分に4点で足を表している。金文の介の字は背を曲げた人の形で下部の4点は前後の2つの点に変っている。
 小篆の介の字は基本的には金文と同様で、楷書の構造は隷書化の過程で変化し「介」と書くようになった。
 上古の時期、華夏先民は下半身は短い裾の服装をしていた。いばらの荒野を行進中は足全体を必ずゲートルで巻き上げていなければならない。この種のゲートルは「介」と称されるようになった。
 上古の戦争では、武器で相対する戦争で(この時期は矛と盾はまだ普及していなかった)、介(ゲートル)と冑(ヘルメット)は兵士達には必須の防護装備であった。
 史記の韓非子列伝では「急则用介冑之士。」とあるがこの介冑とはすなわちゲートルとヘルメットのことを言い兵士を比喩している。
 この意味から、発展して甲殻類などの堅い殻をもつものを含め、魚介類と称するようになった。


 右にゲートルをまいた武士の図を「汉字密码」(唐汉,学林出版社)から引用したが、このような武士の姿は、最近の映画「赤壁」の中でもすでにお馴染みである。


 これに対し、白川先生は「体の前後によろいを付けた人の形」としており(「字統」)、また円満字二郎氏も、「漢字成り立ち図鑑」(円満字二郎、誠文堂新光社)の中で「この人を示す形の両側にあるのは、「よろい」を示すもので、これを組み合わせた漢字が変形した会意文字である。」という同様の説明をしている。
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