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2021年3月19日金曜日

漢字の成り立ちの意味するもの:漢字「婦」は女性差別という「差別」に抗う

漢字の成り立ちの意味するもの:「婦」と女の違いってなんだ!

 漢字「婦」は太古の女性が社会的に主体的役割を果たしていたことを明示したものだ。

 漢字「婦」は、太古の社会では女性は主体的でることを明示しており、女性が従属的な存在であることを決して意味していない。


 「婦人」という字が、日本の歴史に登場して久しい。婦人参政権、婦人会、主婦、看護婦など等である。しかしこれらは今では少し古い感覚で受け止められるようになっている。
 少し前、「婦」という字は「女が箒を持っている」ことを表している字などを社会的用語として用いるのは「女を家に縛り付ける封建的遺制である。という議論まで飛び出して結果的には、婦人という用語は社会からある意味で抹殺され、いまではその代わり、「女性」という語が表舞台に登場した。

 こうなると婦人という言葉もいわれなき差別の末社会から放逐され、いささかかわいそうな気がする。
 物事は俗説や風評・感覚だけで判断してはならない!

 さて、ここではこの漢字の男女シリーズでこの「婦」という漢字を取り上げてみる。本当に昔から虐げられた女性の象徴であったのか。もちろん勝手ながら、唐漢さんに登場願うこととする。


引用 「汉字密码」(唐汉,学林出版社)
 妇は「婦」簡体字である。甲骨文字の婦の字の左上方は黍の穂を突き刺して作った箒で、右側は跪いた女性である。両者の会意で手に箒を持った人即ち「婦」を表している。小篆の婦の字はへんとつくりが整えられ、女の字は箒の左に移った。箒の形はすでに象形からの離脱があるようだ。簡単化され「婦」とかかれるようになった。


婦:甲骨文字
婦:小篆



   「婦」の字は一個の会意字で構造上女性が部屋を清掃する特徴が強調されている。しかし確かに言えることは殷商の時代は、女性は本当の意味で家の主であって、母系家族の中で個人に割り当てられて部屋を使用していただけなのだ。決して自分で生んだ個人の子供のための使用ではない。





漢字「婦」は家を持ち自立して生活できる女性をさす
 この構成の中で、家では却って男と交わりはなく無関係であった。男は小さいときは母親のひざ元で暮らし、成年後は男子専用の集合住宅である「公宮」にすんだ。男子に家はなく、女のところで客として寝泊りしていたに過ぎない。女性は家をもち居室は清掃をし家事をする。  

 「婦」という字はまさに現実の反映なのである。だから「婦」の本義は個人の居室を指し、男子を留めまたは留めることのできる女性をさすのである。父権制が確立して以降は結婚した後の女性を指すようになった。

 後世になって、言葉の意味の拡大で「婦」もまた婦女の通称となった。

 但し古代にあっては、婦はもっぱら既婚の女を指し「女」は一般的な意味の女性を指し、2者は混用することはなかった。ただ近代にあっては、婦女と女性の通称になった。

キーワード:婦人


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2018年2月10日土曜日

来年は「酉」年! 漢字「酉」の成立ち:元々酒瓶を模したのでは

漢字「酉」の起源と由来

「汉字密码」(P877、唐汉著,学林出版社)
読み方:(音) ユウ (訓) とり 
 酉は象形文字である。
 甲骨文字の酉の字と半坡遺跡から出土した底のとがった陶器のビンの形はよく似ている。
 この字は男根の「且」の字をあらわしている。これによって酉の字の本義は男の嬰児である。母を知るが、父を知らない母系社会で男子の血縁はせいぜい下に向かって下る辿る他ない。
  申と酉の字を互いに受け継ぎ、一つは女性の共祖、一つは男性の後代に対応している。(「申」を参照) 酉の字は早くから十二支の名前に借りてその本義を失っている。酉の字が構造的に酒瓶の酉の字に似ていて、男性の祖先(先王)に酒を祭り福を祈願することから、言葉が発生し転移し、十二支の酉と醸造の酉が混淆したものだ。


金文の酉
 金文の酉は既に完全に酒瓶の形状をしている。このことはこの時代には製陶技術が大きな発展をしたためである。酉瓶は既に酒を醸造するための瓶となり、酒盛りの専用器具となった。原本の酒の字は水の形を省いた後、酉となった。金文から小篆は変質し、楷書は酉と書く。   酉の本義は逆さまの「且」である。底のとがった陶器の瓶である。即ち器の皿として酉は「尊」の初めの文字である。酒を盛る器を示し、指事詞に用いられる。(「尊」は甲骨文字では、酒瓶即ち『酉』を両手でささげ持つ形をしている。)

酒を入れる器が「酉」となったのは、上古先民は男根信仰によるもの

 「酉」十二支の表示に仮借されて、十二支の10番目をあらわす。元々上古先民は男根信仰があり、酒を男根にささげていた。嬰児が大きく成長して、子々孫々絶えることなく栄えることを希求した。時間をあらわすと午後5時から7時を表す。酉は部首字で漢字の中では「酉」は組み合わせて、字を作る。酒と大いに関係がある。酝、酿、酔、醒などなど。
 この説明は、少しこじ付け臭いが、男根信仰は日本でも見られ、強ち否定は出来ない。 


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2012年3月4日日曜日

「氏」 文化・社会のもう一つの原点はここにあり

 長い間、人間の社会の根幹の部分を作り上げてきた、姓名。これは現在の日本、中国では家族を表す指標であり、韓国においては広義の血族関係を表す本貫である。これは東洋に留まらず西洋でもFamily Nameという呼称でこの関係があらわされる。これは人類共通の歴史的過程を経てきたことからこのような結果を生んでいるといえる。この共通の過程とはなにか?それは「氏姓制度」である。穴居生活からやがて家族が生まれ、私有財産が蓄積され、村落・部族を形成する過程こそ人類共通の歴史的過程である。
 さてこの姓と氏という漢字の由来について、日本の白川博士と我が唐漢氏の間では天と地の開きがある解釈を展開されている。
 勿論ここでは常々言っているように、どちらが正しいということを解明しようとする立場に立つものではない。両方とも正しいかも知れぬが、それを認めなければならないのも人文科学の宿命かもしれない。
 
「姓」と「氏」はこれまでの社会の成り立ちの根源
 唐漢氏は言う。「氏」は指示造語である。表意の漢字の仮借である。甲骨文字の「氏」の上部は最も簡単な「水」を表す記号から四点を省いた記号、下部は一本の長い縦の指示符号で、水面から水底までの意味であると唐漢氏はいう。金文の「氏」は甲骨文字を受け継いでいるが、美観なものになっている。下部の長い縦棒には一個の丸い点が付け加えられている。小篆はこの点が横に長く変化し、文字構造上の形の均整がとられている。
  要は唐漢氏は「氏」の本義は水の水面から水底までを示す漢字だというのである。



  「氏」は古代社会では本来宗族的称号であった。すなわち同一の血源の出生の繁衍の子孫を表す。即ち姓あれば氏ありで、また姓の区別あれば族号である。氏は姓の分支である。乃至同一家族から出たものは次は一級分枝の称号である。
  姓は不変であるが、氏は変えることは可能だ。即ち同一血源からは同一姓で、その分支としての「氏」が存在する。
  即ち古代中国では、氏は官位、住所、その他社会的位置づけによって名づけられる(変えることが出来る)ものという。しかし「姓」は同じ血縁から出たものは同じ「姓」を引き継ぐものだという。
 上古社会では「姓」は女性の祖先に遡り、「氏」は男系の子孫の承継である。これは、女性が女性を生むと明確に母親、祖母、祖祖母という血縁の接続を知ることが出来たが、男の場合はただ下に向かってのみ追跡でき、ただ自分の子、孫が誰であるか知るのが出来るだけである。これが姓と氏の本質的違いであるという。

2012年3月2日金曜日

女の漢字:「姓」 文化・社会の原点はここにあり

[姓]という漢字に込められた社会の変遷
 「姓」という字は、中国の社会が母系制社会から氏族制度へと発展し、氏姓制度さらに古代、中世、近代の今日に至るまで、社会の根幹の仕組を表す重要な文字である。

 このブログの重要な仕事は漢字の変遷から社会の変遷を読み解くことでもあるので、「姓」という字はこのブログの重要なコンセプトともいえる。今後折に触れ理解を深めていきたい。氏族制度の基盤は血縁集団にあったが、それがやがて国家の政治制度として編成され社会基盤として機能していくようになる。


「姓」という漢字は古代から近代にいたる非常に長い期間
社会の成り立ちの根幹の制度・概念を表す漢字である
姓という文字の成立ち
 「姓」は会意文字であり、形声文字でもある。甲骨文字の「姓」の字の左辺は女という字で、右辺は草木の発芽成長の記号である。両形も会意文字であり、母系制氏族社会で、同一の女性を始祖とする後代まで広がる社会を示している。
 同一の女性の祖先の子孫は、彼らが一人の同じ女性から来る所から金文の姓という字を生んだ。



漢字「姓」という文字がなぜ女偏から人偏に変化し、再び女偏に変化したのか
 右辺の字の符号の中の短い横棒と左辺の女偏が人偏に代わり、この時期に社会が既に男性の権力の時代に入り、既に母系制氏族制度が転覆したことを表明している。小篆の「姓」という字は女と生に回復しているが、母系制に回復したということではない。ただなぜ人遍から女偏に変わったのかは調べる価値がありそうだ。

 実際上、この一時期、早くも張、王、李、劉等の男性の姓の天下であり、司馬、諸葛、欧陽などの2文字の姓は皆父系から得た姓である。

 上古社会では、個人並びに氏族の姓は皆女性の血統に源を発している。この一点早くから氏の文字の構造は証拠となり得た。姜の様な姓は、神農の居姜水の姓と考えられる。女の羊の声は「姫」の様な性を生んだし女の臣の発声は「赢」姓であり、又皇帝の数少ない姓を生んだ。「姚」などもその数少ない例かもしれない。

 中国古代社会では平民と奴隷は皆姓を持ってなかった。只貴族のみが姓を持っていた。実質上早期には姓の権利が独占されていた。この為に上古では庶民という言葉は「百姓」を指していた。平民も姓氏を持つ様になって、庶民という言葉は一般庶民を表示するのに用いられた。

 日本では、朝廷が、官位と同じように氏(うじ)と姓(かばね)を授けて氏姓制度を国家機構の中に組み入れ構築していった。



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2012年1月26日木曜日

女の漢字シリーズ:「奴」

漢字もまだ出来ていなかった太古の中国では、人々は狩猟生活をしていたであろう。生産性も低かったため、その日の生命を維持するのがやっとであったろう。この時代は女性はおのずと種族の由来を示す明示的な存在として、重要視されていたであろう。

 しかし農業が発達し、生産力が向上し、氏族制社会になると人口も増え、種族も由来を明示的に示す必要がなくなってきた。より多くの生産力を求め、部族間の抗争を繰り返すようになり、貧富の差や階級の差が生じてきた。こうして社会が次第に父系制に移行するようになると女性の苦難の時代が始まる。
  戦利品としての捕虜を確保するということには生産力を確保するという以外、もう一つ重要な意味があったろうと思う。それは氏族社会の中で血が濃くなることを防ぐということではなかったろうか。とりわけ女の捕虜は男の性的な満足だけではなく、外部の血を導入するという重要な役割を担っていたはずである。

  漢字の中に女偏の漢字に当時の女の社会的地位を示すものが多いのも、こうした社会的背景があったろうと思う。
  さて今日はその最たる漢字「奴」について触れてみよう。
奴の原義は奴隷。部族間の戦争で
女性は戦利品として扱われた
  「奴」これは会意文字である。甲骨、金文と小篆の「奴」の文字は、女偏でもう一遍は又である。「又」はもともと「手」であり、全部で字の形は、捕虜になった或いは略奪された女性を意味している。 

  「奴」の字の本義は奴僕、奴婢である。古代奴隷制の時代は従順でない男性捕虜や犯罪者は常々脳みそを削られたり、女性は柔弱に飼いならされたり、生殖器の価値もって、奴隷に落ちぶれたものが多くいた。だから「奴」は女偏で作られている。しかし、階級分化が進むにつれ、一部の人は奴隷労役ともう一部の人に分かれる現象が普遍的となった。「奴」はまた労働をする奴隷を指すことが当たり前になった。

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