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2023年8月5日土曜日

漢字「男」はどのようにして生まれ、どのように変わっていくのだろう


漢字「男」の起源と「男」という漢字は、ユニセックスの荒波の中でどう変化するのだろう


導入

 私たちは今どのような位置にいるのだろうか?

前書き

 この記事は「『男』という漢字の起源と由来は」を加筆修正したものです。
 男と女の関係は性的なものは別として、その社会的地位はずいぶん以前から男性上位と考えられてきた。人類が穴居生活をしていた頃は、まだ男と女の役割は現在ほどはっきりしたものではなかった。

 しかし農耕が発達し生産力が増強されるにつれ、より男性のパワーが求められるようになった。同時に家の在り方も変化し、母系制家族から父系制に移り変わっていった。この変化の画期をなしたのは、秦の始皇帝による国家の統一である。始皇帝は当時まだ残っていた入り婿の制度を廃止し父系制を確立した。

 それから3000年近く経過し、生産力は著しく増加し、従来の国家の枠組みすら取り払われ、グローバル化の波が押し寄せている。しかしこの波といえどもほんの30~40年のことであり、人々はこの急激な変化に追随するのに苦労している。

 労働の役割についても、以前とは異なる様相を呈している。ロボットやITの活用によって、労働における男女格差は著しく縮められてきた。
 近い将来、このままでは男と女の性差が消滅せざるを得ない時期が想定される。子供を産むことすらも、男と女の間に区別がなくなるのかも知れない。
 そのような時に、漢字の男と女という字はどのように変化しているか全く予想はつかない。


目次



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漢字「男」の今

漢字「男」の楷書で、常用漢字です。
 その構成要素は「田」と「力」です。そしてこの漢字の甲骨文字は、「田」と「耒」とから構成されるという説が有力です。しかし、これは耒ではなく、男根であると唱える人もいます。これらの説がどうであれ、現在は、男性、男として使われています。しかしこの言葉自体も、著しい世の中の変化の中でどのように変化するのか、全く予想がつかないものです。 
男・楷書男・甲骨文字


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漢字「男」の解体新書

  
男・甲骨文字
男・金文
男・小篆


 

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「男」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   ダン・ナン
  • 訓読み   おとこ

意味
  • 性別で雄
  •  
  • 立派な仕事をした
  •  
  • 大人の男、子供ではない男

同じ部首を持つ漢字     男、甥、舅、虜
漢字「男」を持つ熟語    男、男前、大男、


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漢字「男」成立ちと由来

引用:「汉字密码」(P470、唐汉著,学林出版社)

「男」の字の成り立ち」

唐漢氏の解釈

 男という字は会意文字である。甲骨文字の男という字の左は「田」である。意は農耕のことである。
 右辺は力これは「加」や「幼」の中の記号と同様である。元々は男の生殖器を指しており、ここでは男の意味である。
 金文の男の字は が田の下にある。小篆の形体は基本的には金文と同じである。ただ力という字が完全に「田」の下に来ており形体もまた少しごちゃごちゃしている。楷書の      「男」は小篆を引きついでいるが、「田」と「力」で簡単明快である。

漢字「男」の字統の解釈

 会意 田と力とに従う。力は末の象形。 田と農具 のと合せて耕作のことを示すが、古い用法では その管理者をいう。〔説文〕 一三下に「丈夫なり。田 に従ひ、力に従ふ。男は力を田に用ふるを言ふなり」とするが、力は筋力の字ではなく、耒の象形である。

 文では、田と耒との組み合せかたは、かなり自由である。[令彝]に男は農耕の管理者とし 外服(外域) 諸侯の一にあげられている。

 一般に男子は、詩篇では士 といい、士女と対称するのが例であった。士は戦士階層のもの、男は耕作地の管理者を意味する。 下層 の男は夫といい、概ね農夫であった。その管理者を、のちには大夫といい、卿・大夫・士のように士の上 に位置するが、 氏族員たる戦士階級が没落して、農奴の管理者である大夫の地位が、政治的な階級に高められたのである。男は大夫の古称とみてよい




漢字「男」の漢字源の解釈


 会意。「田(はたけ、狩り)+力」で、耕作や狩りに力を出すおとこを示す。ただし、ナムnamという音であらわされることばは、納napや入niapと同 男系で、いりむことして外から母系制の家にはいってくるおとこのこと



漢字「男」の変遷の史観

文字学上の解釈

文字に現れた社会構造の変化

殷の時代に起こった劇的な変化とは
  男の字の本意は地方の諸侯の放牧地のための男の衛兵の服務である。殷商の初期、農耕は未だ「焼き畑農業」が主力の時代、社会的には氏族共同体の時代であった。

後世の土地制度の範となる「井田制」現る
 そしてこの田という字は商王朝の初期に現れた井田制のことであろう。これは土地を9区画に区切り真ん中を公田とし、この部分は王朝の所有で、残りの8つの区画は私田として、地主や邑(ゆう)という部落の長の所有とされた。そして、その王朝所有の区画を奴隷制を基礎とする氏族の耕作でまかなった。しかしながらたとえ農耕の主力が女としても、氏族の集団で狩をしたり、狩猟は男の担当であった。このようにして甲骨文字の中の「男」の字は、商王国の中のもっぱら農耕部落の首領をさすようになった。すなわち男の服務の首領である。

井田制を基礎とする封建制の発展
 商が滅んで周の後、この地所の西北の一隅の農耕民族、華夏民族にとって民族的歴史に真の農耕時代をもたらした。生産力のは点はまさに爆発的であった。このときから狩猟活動は減少し、農業技術の飛躍的な発展により、強力な国家体制が出現し、更なる労働力を求めて、外へ外へと拡大を続けるようになった。

生産力の発展は更なる生産力を求め、奴隷や女を必要とした
 こうして起こった劇的な社会変化で、女子はその生理的条件と社会的地位の制限により、農耕領域では二の次の生産者の位置に下がってしまった。この頃の戦争の目的は、侵略と略奪により、奴隷として労働力を獲得すると同時に、戦利品として、女を獲得し、労働力の増殖に供することであった。農耕と男子のこの種の関係は、「男」の字に新しい意味を付け加えることになった。農耕即ち男子のことである。故に男子と称するようになった。「説文」で男は主人である。田と力から、力を持って田をなすことを男という。

まとめ

文字は社会の母斑である

 孔子が理想の社会として敬んで止まなかった西周の時代というのは、未だ社会的には士族共同体の特質を色濃く残していた時代だからこそ生れたのであって、春秋時代になると、社会が礼節で収まるような時代ではなくなってしまったのである。
 甲骨文字から小篆に至る「男」という文字の変化をこうして眺めなおしてみるのも面白い。

  


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2023年7月9日日曜日

漢字「加」の甲骨文字から金文のへ劇的な変化は、当時の中国の社会に起こった途轍もないを変化を表していた


漢字「加」に起こった変化は、当時の社会が氏族共同体社会から、国家機構を持つ邑社会への移行を示している

漢字「加」の甲骨文字は、女偏に鋤という字です。
 左の中腰で座ったような画像は「女」を表しています。そしてその右側に表示されているのが、鋤を表しています。この「女」+「鋤」でなぜ「加」を意味するのか、よく分からないものがあります。

しかし、この「鋤」の記号は現実には「力」を意味しているのでとも云われます。

 左辺の「女」の記号の代わりに、「田」という記号が入ると、「男」となります。
 私はこの変化の背景に、当時の世の中の生産体制の変化があったとみています。つまり明確に農耕が生産の中心の位置に据えられ、その労働力の主たる担い手が「男」であったことを示していると考えています。
 しかし、さらなる生産の増強を求め、そこに女の神秘的な力を借りて、神に願うようになった。
 「田」の代わりに「女」という記号が入ると「加」という意味になった。 この漢字「加」は、「鋤を祓い清める礼で農耕の始めに秋の虫害を避けるため、鋤に修祓を加える」儀式をも含み、漢字「加」が生まれたのだという説もある。


 では、次の画像は何を意味しているでしょうか。 右の中腰で座ったような画像は女性を意味しています。その女性が、掲げているのが箒です。この漢字は「婦」です。そして、今では女性差別の元凶のように言われますが、太古の昔は母系制社会の中にあって、自分の家を持つこと許された女性で、部落の中心を担う独り立ちした立派な女性なのです。一方男性は 家を持たしてもらえず、 村の共有の施設で共同生活をしていました。そして気に入った女性のもとに通わなければならないという存在でした。

 このように漢字は当時の社会の在り方をよく表現しているといえ、太古の社会を我々に忠実に伝えてくれているといえます

導入

前書き

 漢字は基本的に象形文字であり、抽象的なものより具体的なものを具象化したものです。そして、それは実に多くの概念を「一字」で表すため、偏や旁を組み合わせる構造を持っています。したがって、漢字の構造を調べることによってそれに込められた概念を判明し、さらにはその歴史的背景まで解明することができます。

目次




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漢字「加」の今

漢字「加」の解体新書

漢字「加」常用漢字です。
 「加」という漢字が、現代の形をとるようになったのは、金文からで、それ以前の甲骨文字の時代は、字形は全く異なりました。したがって意味した内容も異なっていたと考えられます。
 
 このように字形に大きな変化をもたらした背景には、社会の大変革があったはずだとみています。
加・楷書




金文から小篆、楷書に至るまで「加」の文字は構造にはほとんど変化はありません
加・金文
鋤と「サイ」で鋤を清め生産の高めることを祈った
加・小篆
金文を引き継ぎ、文字化のレベルが高まっている
加・楷書
金文、小篆からの文字の構造的な変化はない

  

「加」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   加
  • 訓読み   くわ(える)
意味 
  • くわえる、くわわる  増す、多くなる」(例:増加) 
  •  
  • くわえて、その上に
  •  
  • 足し算   例:加算

同じ部首を持つ漢字     伽、賀、迦、
漢字「加」を持つ熟語    加算、加害、加圧、加減、加持、加護


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漢字「加」成立ちと由来:「加」の変遷はどこからもたらされたか

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈:民俗学的解釈

  加は会意文字です。甲骨文字の左辺は女の人の象形文字で、右辺は男の子を表しています。金文の加の字は改めて新たな構造形となっており、下辺は女の子を表す。やはり会意方式で、もう少し意味があり、男の子を産み落としている。

しかし、唐漢氏の甲骨文字の解釈にかなり無理があると思う。左辺は女の形象で、右辺は男の子としているが、他の論者はこれを鋤としている、男にしろ、鋤にしろ、会意文字として、なぜ「加」という意味を持つのか少し理解しがたい。字統の解釈の方が、無理がなくかつ一貫性を保っているように思える。

  

漢字「加」の字統の解釈:漢字の発展に宗教的色彩を見る

 会意文字:力と口に従う。「力」は鋤の象形。口は祝禱の器の形で「サイ」。
「加」はもと鋤を清めて生産力を高めるための儀礼をいう。鋤を祓い清める礼で農耕の始めに秋の虫害を避けるため、鋤に修祓を加えるのが例であった。
 

字統の解釈の考察

周朝以降「加」の字は改造されて、一般的な意味の「加える」に拡張されました。なぜ改造されたかの理由は、ここで生産のシステムに大きな変革があり、それまでの巫女による呪術的な農耕から、より一般的な普遍的な「神」の力による生産・五穀豊穣を祈願し、生産力を高めるような社会に変化したのではないかと考えている。



漢字「加」の漢字源の解釈:漢字の発展を漢字そのものの中に見る

 会意文字:手に口を添えて勢いを助ける意を表す


漢字「加」の変遷の史観:古代社会の変化は漢字のにいかなる変化をもたらしたか

文字学上の解釈

  漢字「加」という字は、甲骨文字から金文に至るまでに、劇的な変化をしている。
 甲骨文字では、字の構成要素に明らかに「女」の象形が使われ、金文では「女」の象形は消え、その代わり「鋤」の象形が使われ、「サイ」という祝禱を入れる器が現れています。甲骨文字の時代には、いまだ女性崇拝は残り、子供を産むという生産性に畏敬の念を持っていたものが、金文の時代には、農業の発展により、人々の関心がより即物的な事物、つまり食料の生産に移ったのかも知れません。

 人々の間には「子供を産むこと自体はそれほど努力しなくてもできる。しかし、コメや食料はかなりの手をかけないとできないと価値観が変わったのかも知れません。もっともこの見立てはあくまでも仮説にしかすぎませんが・・。

しかし、 この文字に現れた劇的な変化は、生産過程の劇的な変化があったのではないかと考えざるを得ない。



まとめ

 甲骨文字の「加」は、「女+耜(スキ)」から成る。時代が下るにつれ劇的に変化する。その訳は、母系制社会から、生産力の高まりと主に父系制社会に変化したことという仮説(私説)が成り立ちうる。しかし、この仮説が、仮設でなくなるには、さらなる証拠が必要となろう。
  


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2021年6月25日金曜日

漢字 「尊」の成り立ちに埋もれた歴史的真実:尊という漢字は男性崇拝そのものだった。漢字は男子優位の思想で貫かれた世界にある


漢字 尊の成り立ちから何が読める。神霊に酒を捧げることは、男性崇拝の表れなのか
 「男」という部首を含む漢字は、わずかに17文字しかありません。それに対して、「女」という部首を含む漢字はなんと992にも上ります。なぜでしょう?考えられるのは、漢字が作る側にいたのは男だったからだと思います。既に男優位の中にあって漢字が作られ、女は観察対象であったと考えられます。

 漢字の世界即ち、漢字が作られ使われた文化は基本的に男尊女卑の世界であったということが出来ます。

 そのことを踏まえて、改めて漢字 尊の成り立ちに迫ってみました。尊という漢字は男性崇拝そのものだったと考えられます。後にきれいごとの屁理屈が付けられたようですが、最も本源的な意味は「男は尊い」ということに尽きる気がします。


漢字「尊」の楷書で、常用漢字です。
 この漢字は、ある種の侵すべからざる雰囲気のある字として、漢字の中で、特別な位置を占めてきた。

 この漢字は、男性のみに用いられ、女性の立ち居振る舞いや雰囲気には用いられてこなかった。

 なぜだろう?それは、この漢字そのものが男根を表し、男性崇拝を担ってきたからだと考えられる。
尊・楷書


  
尊・甲骨文字
男根をあがめ奉る様。《酒を恭しく相手に献上する姿とも解釈される
尊・金文
基本的に、甲骨文字を引き継いでいる
尊・小篆
文字としての体裁が整うと共に
露骨な表現は影を潜め建前的な表現が、文字としての汎用性を高めるようになった。


    


「〇」の漢字データ
 

漢字の読み
  • 音読み   ソン
  • 訓読み   とうと(い)、とうと(ぶ)、たっと(い)、たっと(ぶ)

意味
     
  •  尊敬すること  (例・・尊敬する  大切にする、重んずる (例・・尊重)
  •  
  •  えらそうにして、他人を見下げたような態度をとる (例・・尊大)
  •  
  •  尊称として他人に関する事物の上につけて敬意を表す」 (例・・尊顔)
  •  
  •  日本固有の使い方、みこと(神や天皇家の人に対する敬称 (例・・日本武尊

同じ部首を持つ漢字   遵、蹲、鳟
漢字「〇」を持つ熟語    楼閣、尊敬、尊重、尊顔




引用:「汉字密码」(P683、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈
 「尊」は会意文字です。甲骨文音「尊」は下部は両手であり、上部は酒器です。両者の会意で、丁寧に人にうまい酒を献上する意です。金文と甲骨文は形はよく似ている。ただ、酒器の上部に模様が追加されている。

 小篆の「尊」は酒器の上に二個の払いが加えられており、外に傾けて、人に飲ませる意味を示している。楷書の「尊」の字は金文と小篆の中の二つの手が一つの手(寸)に変り、隷書化の後、「尊」となった。「尊」の字の本義は二つあり、一つは酒を敬うこと、もう一つは酒器そのものを指す。

 しかし、唐漢氏の「漢字「酉」の起源と由来」の説明の中では、この尊の中に含まれる「酉」という漢字が、「男根」を表すとしており、その説明から考えると、この「尊」という漢字は、強烈な男性を表したものと解釈される。この整合性をどう解釈すべきか、もう少し深い考察が必要とされるだろう。


漢字「尊」の字統の解釈
 酋と寸に従う。酋は酒器。上部に酒気のあることを示して八を加え下は寸または廾に従って、これを奉ずる形。神霊の前にこれを置いて祀ること。《説文》に酒気なり。酋に従う。廾はこれを持って奉ず。」としている。 


まとめ
 今回もまた、漢字は世の中の在り様を忠実に反映したものだということを立証することになってしまった。

 ともすれば漢字があからさまにする世界は実に残酷だ。しかしそれも現実であるし歴史である。我々は受け入れなければならない。その上に、本当の人間性の発露のある世界が来るものだと信じる。



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2020年3月9日月曜日

漢字「公」:政治は「公」のもの、だとすれば公開が大原則!!


漢字「公」は氏族の共有の財産であった男の若者たちが「公開」の場所に住んでいたことに由来する
 政治は「公」のもの、だとすれば公開が大原則!!
 最近日本では、公の文書が勝手に廃却されたり隠されたりする事件が相次いでいます。

 漢字「公」は氏族の共有の財産であった男の若者たちを意味する。事実、雄牛を「公牛」、雄鶏を「公鶏」、雄豚を「公猪」と呼んだ。これらはかつての母系制社会であった氏族制度の社会構造を反映したものである。


 そして、春秋戦国時代の荒波を経て、秦の始皇帝が天下を統一し、農耕が発展し、母系制が崩れるようになると、社会は男性が優位になり、女性は一段と低い地位に押し込められるようになる。

引用:「汉字密码」(P882、唐汉著,学林出版社)
唐漢氏の解釈: 「公」の本義は男だという
「公」の本来の意味は若者です。たとえば、甲骨文字の「公宮」という言葉は、「王室の家父長制」の時代に男性が集合的に住んでいた家を指します。
 昔雄鶏のことを公鶏、雄牛のことを公牛とよんだ。これは未だ氏姓制度の時代は、若い男は氏族の共通の働き手であったことから、家を持つことは許されず、女の持つ家庭に夜な夜な通っていた民俗があったからです。牛や、豚、鶏にしても共通の財産であったわけです。


字統の解釈
儀礼を行う宮廷の廷前のところの平面形の象形だとする。廷前の左右に障壁のある形であるとする。



漢字源
 会意文字であるとする。下部は「私」の原字で、三方を取り囲んで隠すことを示し、上部の「八印」はそれを左右に分けることを示している。



結び
以上の三者の解釈を総合すると、字統の神がかった解釈は別として、「公」が共通の場所にいる、若者を指していたということは十分考えられます。

  「詩•召南•采繁」:「被之僮僮,夙夜在公。」の中には「子供」と言われていたときは、夜は公宮にすむとあり、ここで、「公」は男性が住んでいる場所を指しますが、「公宮」はこの時点で既に公の場所の意味を兼ね備えていたと考えられます。

 結論:漢字「公」は氏族の共有の男たちを意味する。ここから公開、共有が派生した


 現代は「公」はおおやけのことと理解されます。そして政治は公のことであるし、自分のことは「私事」といわれ、建前では、一段低いこととみなされます。公のことは必然的に公開されるべきで、誰の目に触れるようにし、誰にも公平であるものでしょう。ところが最近日本では、公の文書が勝手に廃却されたり隠されたりする事件が相次いでいます。何故でしょう。これは公のことを自分の不利益になるとして、私事としたい連中がいることを示しているように思えます。漢字の「私」はまさしく自分のものとして取り込んだり、抱え込んだりすることを表しています。

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2018年8月22日水曜日

漢字「女」の起源と成立ち:当時の社会の変化が漢字にしっかりと刻まれていた


漢字「女」の起源と由来
「男」と「女」の永遠のテーマ。漢字が生まれたのは生理学的な違いではなく、その社会的な在り方がそのまま表現されたもの。漢字学は考古学でもある。現代社会からだけ、漢字の成り立ちを決め付けてはいけない。

引用:「汉字密码」(P467、唐汉著,学林出版社)
「女」の字の成り立ち」
女という字はそのままの象形文字である。甲骨文字の女の字は左を向いて膝を折って跪き、状態をまっすぐ立ってて、上部の女性の胸をわざわざ描いて、女性のバスト、ウエスト、ヒップが余すところなく特徴的に表現されている。




古代人はなぜ女という字をこのように作ったのだろうか。
 実際上、この種の姿勢は本来古代人が服を着て、家にいる形である。華夏民族は早くから服を着ていたかあるいは体の前に布をぶら下げていた。後になって前後の布になり、そして更に変化して全部布で覆った衣服になった。殷商の時代に至って、大多数の民衆は、日常は裸足で脚は短いスカートで包んで、中は今の人のようにいわゆるパンツはつけず、何もはかない。明らかにこのような服装をして、唯一つの草の寝床以外は何もない居室で、ただ跪く姿は、陰部を隠すのがやっとであろう。跪くのは小休止するのには非常に便利である。女という字にこの跪く姿勢をとったのは、これが上古の生活の真実の姿であったろう。


ただここで、女はなぜ家で跪かなければならなかったか?
 跪くというのはやはり、隷属的なふるまいである。男は「田」+「男性器を示す力」で、併せて農耕を表している。ここで、字の上でも男と女の社会的地位が明確に示され、女は家で家事を分担し、男は農耕など生産の主要な部分を担うことになっている。


甲骨文字から小篆への文字の変化
 金文の字の女では基本部分は甲骨文字と同じであるが、ただ女の頭の上部分に一本の横線が増えている。実際には簪を飾りにいくらかの装飾品がつき、女の子の年頃の実際の姿を示したものだ。小篆は金文を引き継ぎ、しかし形象は次第になくなり、更に隷書化の過程で書くための便利さへの要求がいっそう高まり、形を変え楷書の時代になって現代の女という字になった。 


生産関係と文字の史的唯物論
 夏や殷などの強大な国家の出現により、生産関係は明確に変化し、人々の暮らしに大きな変化をもたらした。即ち、女は家事を分担し、跪くようになり、性的な部分が強調されるようになり、やがては髪飾りなどを身に付け、男の注意をひきつけるため、可愛さを強調する文化(存在)に自らを落とし込むようになってきた。そしてその関係は4000年続いてきて、今や大きく変化しようとしている。つまり男と女の性的な区別がさほど必要なくなってきた今日の在り方は文化にどのように変化を刻んでいくことになるのだろうか?

 私は現代社会はそのような大きな変遷の時代に突入しているように思われる。



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2018年2月10日土曜日

来年は「酉」年! 漢字「酉」の成立ち:元々酒瓶を模したのでは

漢字「酉」の起源と由来

「汉字密码」(P877、唐汉著,学林出版社)
読み方:(音) ユウ (訓) とり 
 酉は象形文字である。
 甲骨文字の酉の字と半坡遺跡から出土した底のとがった陶器のビンの形はよく似ている。
 この字は男根の「且」の字をあらわしている。これによって酉の字の本義は男の嬰児である。母を知るが、父を知らない母系社会で男子の血縁はせいぜい下に向かって下る辿る他ない。
  申と酉の字を互いに受け継ぎ、一つは女性の共祖、一つは男性の後代に対応している。(「申」を参照) 酉の字は早くから十二支の名前に借りてその本義を失っている。酉の字が構造的に酒瓶の酉の字に似ていて、男性の祖先(先王)に酒を祭り福を祈願することから、言葉が発生し転移し、十二支の酉と醸造の酉が混淆したものだ。


金文の酉
 金文の酉は既に完全に酒瓶の形状をしている。このことはこの時代には製陶技術が大きな発展をしたためである。酉瓶は既に酒を醸造するための瓶となり、酒盛りの専用器具となった。原本の酒の字は水の形を省いた後、酉となった。金文から小篆は変質し、楷書は酉と書く。   酉の本義は逆さまの「且」である。底のとがった陶器の瓶である。即ち器の皿として酉は「尊」の初めの文字である。酒を盛る器を示し、指事詞に用いられる。(「尊」は甲骨文字では、酒瓶即ち『酉』を両手でささげ持つ形をしている。)

酒を入れる器が「酉」となったのは、上古先民は男根信仰によるもの

 「酉」十二支の表示に仮借されて、十二支の10番目をあらわす。元々上古先民は男根信仰があり、酒を男根にささげていた。嬰児が大きく成長して、子々孫々絶えることなく栄えることを希求した。時間をあらわすと午後5時から7時を表す。酉は部首字で漢字の中では「酉」は組み合わせて、字を作る。酒と大いに関係がある。酝、酿、酔、醒などなど。
 この説明は、少しこじ付け臭いが、男根信仰は日本でも見られ、強ち否定は出来ない。 


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2010年6月2日水曜日

「男」という漢字の起源と由来は

今回は引き続き男と女の問題について上古の昔に戻ってみよう。

甲骨文字_男
男という字は会意文字である。甲骨文字の字の左は「田」である。この意は農耕のことである。

右側は「力」。これは「加」や「幼」の中の記号と同様である。元々は男の生殖器を指しており、ここでは男性を示す記号である。


小篆_男
 金文の男の記号は田の下に来ている。小篆の形体は基本的には金文と同じである。ただ「力」という字が完全に「田」の下に来ており形体もまた少しごちゃごちゃしている。楷書の「男」は小篆を引きついているが、「田」と「力」で簡単明快である。

殷商の初期、農耕はまさに土地を焼き、木の先を尖らして地上に穴を掘り、種をまいた後土をかぶせて、農作業を終えるといういわゆる焼き畑農業が行われていた。この種の簡単な労働は主として女が受け持った。しかしながらたとえ農耕の主力が女としても、氏族の集団で狩をしたり、狩猟は男の担当であった。このようにして甲骨文字の中の「男」の字は、商王国の中でもっぱら農耕部落の首領をさすようになった。


史書に記載している周の時代の「公候伯子男」爵の中の男爵は常々農事に功のあった臣に授けられる爵位である。この種の制度は殷商の時代の「男服」に源を発している。即ち「男服」とは常々農耕に従事しさらに王に農産物を貢ぐ部落の首領あるいは小規模の候国の王のことである。
周が滅んで後、華夏民族にとって民族的歴史に真の農耕時代をもたらされた。このときから狩猟活動は減少し、農業産出物が食物の本源的な主体となった。更に体力の強壮化によって、男子は農耕の生産の主体を担った。これに反し女子はその生理的条件と社会的地位の制限により、農耕領域では二次的な生産者の位置に下がってしまった。そうして家務を切り盛りし、桑や麻をつむぐことを主要な職務となった。
農耕と男子のこの種の関係は、「男」の字に新しい意味を付け加えることになった。農耕即ち男子のことである。「説文」(漢字の集大成された古文書)で「男は主人である。田と力から、力を持って田をなすことを男という。」
男の性別の意味が氏族の首領の意味に取って代わって以降、畑の中で労働する男を指し、さらに拡大して一般に成年男子のことを言うようになった。もちろん限定された使い方で、男の子を意味したり、息子を意味する場合もあるが・・。




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2010年5月29日土曜日

男と女と漢字

食べたり飲んだりすることは一個の生命体が存続するための基礎である。

 性交は、ある人は自然法則の男女の交流に合致するものであり、これは人類が続いて存続していくための保障であると説く。孔子のように聡明なものでも、「端的にいうと食、色、性に帰結する」という。

象形文字が生まれて、文明時代の到来を暗示していた、丁度その時期に、華夏民族の中での両性の関係に一大変革がもたらされた。

 それは、捕虜で連れて来られた他の部族の女性に起因するもので、すなわち戦争をして絶えることのない戦利品から来るものであった。

 帝王から首領に至るまで、男性戦士は女性の捕虜を占有した。このことで母系氏族制度の社会の仕組みは瓦解をはじめ、代わりに起こってきたのが、王権父系制であり、そのことは即座に有史以前の両性の根本的変化をもたらした。

 意義の上から言うときっと、象形文字の中に蓄えられた両性に関する情報は、近代からのものに比べて、未だ未開化の段階の民族資料や傍証として、もっと真実を示し、また興味深いものになった。

  漢字の解明は、漢字文化学的な角度から、上古時代の両性の謎を提示するものである。


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