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2023年7月9日日曜日

漢字「加」の甲骨文字から金文のへ劇的な変化は、当時の中国の社会に起こった途轍もないを変化を表していた


漢字「加」に起こった変化は、当時の社会が氏族共同体社会から、国家機構を持つ邑社会への移行を示している

漢字「加」の甲骨文字は、女偏に鋤という字です。
 左の中腰で座ったような画像は「女」を表しています。そしてその右側に表示されているのが、鋤を表しています。この「女」+「鋤」でなぜ「加」を意味するのか、よく分からないものがあります。

しかし、この「鋤」の記号は現実には「力」を意味しているのでとも云われます。

 左辺の「女」の記号の代わりに、「田」という記号が入ると、「男」となります。
 私はこの変化の背景に、当時の世の中の生産体制の変化があったとみています。つまり明確に農耕が生産の中心の位置に据えられ、その労働力の主たる担い手が「男」であったことを示していると考えています。
 しかし、さらなる生産の増強を求め、そこに女の神秘的な力を借りて、神に願うようになった。
 「田」の代わりに「女」という記号が入ると「加」という意味になった。 この漢字「加」は、「鋤を祓い清める礼で農耕の始めに秋の虫害を避けるため、鋤に修祓を加える」儀式をも含み、漢字「加」が生まれたのだという説もある。


 では、次の画像は何を意味しているでしょうか。 右の中腰で座ったような画像は女性を意味しています。その女性が、掲げているのが箒です。この漢字は「婦」です。そして、今では女性差別の元凶のように言われますが、太古の昔は母系制社会の中にあって、自分の家を持つこと許された女性で、部落の中心を担う独り立ちした立派な女性なのです。一方男性は 家を持たしてもらえず、 村の共有の施設で共同生活をしていました。そして気に入った女性のもとに通わなければならないという存在でした。

 このように漢字は当時の社会の在り方をよく表現しているといえ、太古の社会を我々に忠実に伝えてくれているといえます

導入

前書き

 漢字は基本的に象形文字であり、抽象的なものより具体的なものを具象化したものです。そして、それは実に多くの概念を「一字」で表すため、偏や旁を組み合わせる構造を持っています。したがって、漢字の構造を調べることによってそれに込められた概念を判明し、さらにはその歴史的背景まで解明することができます。

目次




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漢字「加」の今

漢字「加」の解体新書

漢字「加」常用漢字です。
 「加」という漢字が、現代の形をとるようになったのは、金文からで、それ以前の甲骨文字の時代は、字形は全く異なりました。したがって意味した内容も異なっていたと考えられます。
 
 このように字形に大きな変化をもたらした背景には、社会の大変革があったはずだとみています。
加・楷書




金文から小篆、楷書に至るまで「加」の文字は構造にはほとんど変化はありません
加・金文
鋤と「サイ」で鋤を清め生産の高めることを祈った
加・小篆
金文を引き継ぎ、文字化のレベルが高まっている
加・楷書
金文、小篆からの文字の構造的な変化はない

  

「加」の漢字データ

漢字の読み
  • 音読み   加
  • 訓読み   くわ(える)
意味 
  • くわえる、くわわる  増す、多くなる」(例:増加) 
  •  
  • くわえて、その上に
  •  
  • 足し算   例:加算

同じ部首を持つ漢字     伽、賀、迦、
漢字「加」を持つ熟語    加算、加害、加圧、加減、加持、加護


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漢字「加」成立ちと由来:「加」の変遷はどこからもたらされたか

引用:「汉字密码」(Page、唐汉著,学林出版社)

唐漢氏の解釈:民俗学的解釈

  加は会意文字です。甲骨文字の左辺は女の人の象形文字で、右辺は男の子を表しています。金文の加の字は改めて新たな構造形となっており、下辺は女の子を表す。やはり会意方式で、もう少し意味があり、男の子を産み落としている。

しかし、唐漢氏の甲骨文字の解釈にかなり無理があると思う。左辺は女の形象で、右辺は男の子としているが、他の論者はこれを鋤としている、男にしろ、鋤にしろ、会意文字として、なぜ「加」という意味を持つのか少し理解しがたい。字統の解釈の方が、無理がなくかつ一貫性を保っているように思える。

  

漢字「加」の字統の解釈:漢字の発展に宗教的色彩を見る

 会意文字:力と口に従う。「力」は鋤の象形。口は祝禱の器の形で「サイ」。
「加」はもと鋤を清めて生産力を高めるための儀礼をいう。鋤を祓い清める礼で農耕の始めに秋の虫害を避けるため、鋤に修祓を加えるのが例であった。
 

字統の解釈の考察

周朝以降「加」の字は改造されて、一般的な意味の「加える」に拡張されました。なぜ改造されたかの理由は、ここで生産のシステムに大きな変革があり、それまでの巫女による呪術的な農耕から、より一般的な普遍的な「神」の力による生産・五穀豊穣を祈願し、生産力を高めるような社会に変化したのではないかと考えている。



漢字「加」の漢字源の解釈:漢字の発展を漢字そのものの中に見る

 会意文字:手に口を添えて勢いを助ける意を表す


漢字「加」の変遷の史観:古代社会の変化は漢字のにいかなる変化をもたらしたか

文字学上の解釈

  漢字「加」という字は、甲骨文字から金文に至るまでに、劇的な変化をしている。
 甲骨文字では、字の構成要素に明らかに「女」の象形が使われ、金文では「女」の象形は消え、その代わり「鋤」の象形が使われ、「サイ」という祝禱を入れる器が現れています。甲骨文字の時代には、いまだ女性崇拝は残り、子供を産むという生産性に畏敬の念を持っていたものが、金文の時代には、農業の発展により、人々の関心がより即物的な事物、つまり食料の生産に移ったのかも知れません。

 人々の間には「子供を産むこと自体はそれほど努力しなくてもできる。しかし、コメや食料はかなりの手をかけないとできないと価値観が変わったのかも知れません。もっともこの見立てはあくまでも仮説にしかすぎませんが・・。

しかし、 この文字に現れた劇的な変化は、生産過程の劇的な変化があったのではないかと考えざるを得ない。



まとめ

 甲骨文字の「加」は、「女+耜(スキ)」から成る。時代が下るにつれ劇的に変化する。その訳は、母系制社会から、生産力の高まりと主に父系制社会に変化したことという仮説(私説)が成り立ちうる。しかし、この仮説が、仮設でなくなるには、さらなる証拠が必要となろう。
  


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2019年1月8日火曜日

漢字「雪」の成り立ち:
太古の昔、黄河の辺りは亜熱帯。そこに住む人間は「雪」をどう考えたか

「雪」を初めて見た時の驚きは如何ばかりだったのだろう
引用:「汉字密码」(P269、唐汉著,学林出版社)
 太古の昔、殷という国が栄えていた頃、黄河の辺りは亜熱帯。そこに住む人間は「雪」をどう考えたか?。当時、象やや水牛が闊歩していたという。雪など見たことのない人間が、雪をどのよう考え、どう見たかが、甲骨文字に残っている。

 彼らは「雪」を、雨や水を掃く箒と考えていたらしい。
 古人にとっては、とんでもない出来事だったのではないだろうか。しかし、この古人の「雨を掃く箒」という概念がもう一つの呑み込めない。

 我々にとっては、「南の島に雪が降る」という加東大介、伴淳三郎の映画のほうがピンとくる。

 甲骨文字の成り立ちは、「字の上部は雨の省略形だ。下部は羽の字で傍の小点は上から下に落下する屑である。」
 まさに雪片のデザインのようだ。小篆の雪の字は下部が変じて、彗の字になっている。彗の字は古文字では常に箒を表している。大概、雪は一種の水の箒だと解釈されている。雪と彗からはあたかも雪を掃くものなりと解釈している。

 許慎は説文解字のなかで、雪を解釈して、氷雨としている。段玉裁は許慎に対し、雪、緩やかなりと解釈している。水が寒気に遭遇して固まり、ゆるゆると下がるなり。雪は本来風花雪月の中の一景だ。まして「瑞雪は豊年の前兆」なり喜ばしいこというまでもない。


 中国の商代(今から3500年から5000年前)の気候は現代と比べると温暖なことが多く、商の都のあった安陽(現在の河南省)の殷墟の遺跡から発掘された動物の骨格中、水牛などの亜熱帯動物もある。特別なのは象で、典型的な亜熱帯動物で、今では雲南省のごく一部のみに生息するだけである。
 単に殷墟の考古の中の象の化石骨格だけではなく、考古卜字中に商王が狩をして、象をしとめた記録までもある。ということから、商代の安陽は亜熱帯気候に属していて、雪が降ることは非常に少なかった。甲骨文の中では、雪の字は極めてわずかしか出てこない。

 筆者もこの地に一ヶ月ほど滞在したことがあるが、寒暖の差は感じたものの、とても亜熱帯気候とはいいがたいものを感じた。しかし、数千年前には、この地に象が生息していたとは驚きだ。
 因みに安陽市の平均気温は13.6度、地積は平地で、緯度は東京とほぼ同じである。西には太行山脈がそびえ、そこから流れる漳河(しょうが、海河水系衛河の支流)が河北省邯鄲市との境を流れる。

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