2017年3月25日土曜日

漢字「嘘」の起源・由来を「甲骨文字」に探る:元々は「墓」だった


漢字「嘘」の起源と由来
 近頃、世間は「嘘」の話で結構騒がしい。大阪で幼稚園を経営する籠池氏という方が、小学校を作りたいと大阪府に申請を出した。その小学校の教育理念は、「教育勅語」を基本に据えるという、とんでもない時代錯誤のものらしいが、その話に、保守を標榜する色々の方面から後押しをし、また忖度をすることで、漸く大阪府の認可を取り付け、建設が始まった。しかし、その土地の取得の段階で、総理大臣夫人への依頼があったとか、お金のやり取りがあったとかなかったとか、虚虚実実の話が飛び交い、大騒ぎになっている。

 さてここでは、その真偽については、政府やマスコミに任せるとして、「嘘」という漢字について触れてみたい。

引用:「漢字源」(藤堂明保編,学研)
 「嘘」という漢字は形声文字だという。もともとの意味では、「①息を吸ったり吐いたりすることで、② 嘯くとか大げさに言う」という意味があると書いてある。日本で使われる「嘘」という使い方は現在の中国ではしないようだ。中国では「谎言、假话」という言葉が使われるようだ。 そこで。もう少し話を突っ込んでみよう。この「嘘」という字の旁の「虚」という漢字は、一体どういう由来があるのだろうか。

引用:「字統」(白川静編,平凡社)
 白川氏はある意味明快で、声符は虚。虚は墳墓(墓)のいみで、実体のないもの。嘘は言葉にならぬ気息を言う。日本では「うそ」の意味に用いるが、「うそ」は「虚偽」、「嘘」は気息に用いる文字である。

引用:「汉字密码」(唐汉著,学林出版社)

 「虚」は会意文字である。金文の虚の字の上辺は、既に「虎」の頭の変形をしたものとなっている。下辺は「丘」の字である。小篆ではこの関係から、虎の頭の形が明晰に多く残っている。楷書は丘を変化させ、「虚」になっている。「虚」は虎の頭と丘の会意で見たところ高く大きいことを表示しており、実際、土でできた大きな土山である。
 「説文」は「虚」は大きな丘だと解釈している。
 《诗•部风•定之方中》の中で、「升彼虚矣,以望楚矣。」とあるが、これは、「あの大きな土の山に登れば、楚の国の地まで見渡せることが出来る」の意味で、土の山の意味である。また拡張させて、ある人がかつて住んだことを特に指し、後に殷墟のように、荒れ果てた高台を、商の人がかつて住んでいた荒れ果てた高地を後に「虚」と書いた。
 大きな山のようで、実は土の塊の意味から、拡張されて空虚、嘘、度胸がないこと、徒然・・むなしい、無駄、ただ・・ばかり、虚弱など多くの意味を含んでいる。成語「乘虚而入(虚に乗じて入り込む)、虚无嫖纱(虚無)、虚位以待(しかるべきポストをあけて待つ)、做贼心虚(悪事を働けば,心はいつも不安である)、虚度年华(年月をむなしく送る)、虚怀若谷(虚心坦懐)」の中のなど等。



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2017年3月21日火曜日

漢字「忖度」の「忖」の成立ちを探る! 他人の心を思いやる?

漢字 忖度の「」の起源と由来
引用:字統(P557、白川静編,平凡社)

「忖度」、 少し聴きなれない言葉が、今年に入ってから、森友学園の小学校の建設に絡んで、この「忖度」という言葉が非常によく聞かれるようになった。毎日、毎日、テレビのどのチャンネルも、どの新聞も、官僚が政治家を慮って便宜を施したということで、「忖度!!!、忖度!!、忖度!」と聞かない日はない。間違いなく今年の「流行語大賞」である。
 しかも、 最近では、この忖度をめぐって、とんでもない議論が出てきている。「忖度」には、いい忖度と悪い忖度があるというものである。

この議論であれば、忖度という言葉そのものに、新たな価値観を持ち込むことになり、ますますもって、日本語の混乱を起こしかねないと心配する。この分では、いい原子力と悪い原子力があります皆さんどちらの原子力を選びますか?という議論に世間を誘導していくことにもつながり、非常に危惧を感じている次第だ。こんなことは誰が言い出したのか? こんなことを言い出す人の頭の中はやはり保守!。要は大衆受けする言葉を使って、世間を何も考えない方向に持っていこうとする魂胆が見え見えだ。

 「字統」によると、「忖度の「忖」は、「寸」は手の指4本を並べた長さの1本分で、長さを図る意がある」として、唐漢氏の説明とほぼ同様である。当BLOGの「寸」を参照願いたい。
 「詩経・小雅・巧言」には、「他人有心、予忖度之」とあり、既に2500年前に孔子の言葉として語られていることから、ずいぶん昔から人間は「忖度」し続けてきたものと見える。因みに「忖度」の「度」という字も、はかるという意味があり、現在でも度量衡で使われている。また「漢字源」では「指をそっと置いて長さや脈をはかるように、そっと気持ちを思いやること」とあり、この解釈が現在、マスコミで騒がれている使い方にぴったり来る。


大辞林


因みに、日本語では、「大辞林」によれば、「他人の気持ちをおしはかること」とある。

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2017年1月5日木曜日

漢字「局」の成立ち:古代に死者を葬る時、屈肢葬のデザインだという説もある。

漢字「局」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P390、唐汉著,学林出版社)


  「局 Ju」は会意文字である。古文中の「局」の字は「尺」の下に「口」がある。「尺」の原本は手腕の肱の上の曲がる部分を言う。このことから手肱をさす。口は手肱の回りの曲がる小さい範囲の空間をしめす。よって小篆から隷書までの変化の過程で、上部の尺は肱の折れ曲がった形状はその形の類似性とニュアンスは失って、楷書では局と書く。
 説文では「口と尺の下にあり、局これに帰すことを示す。」玉編は「局は曲なり」とする。即ち手腕の湾曲した小さな丸い空間である。このことから拡張されて、将に全体を部分に分割することをいう。「局部、小局服从大局、局势」などの如し。又さらに拡張して、事務所、官庁の機関をさす。(全体の機構の中の、一部署という意味か)
 「局踏、局缩」などの言葉の中の「局」という字は全て萎縮を表す。
 局は将棋の盤。(これも、限定の意味から分割された区画を表す。ということか)局面の言葉は元々は将棋の一局面の形勢を指していた。それが実地の及び勢力の所在の比喩になった。又将棋の局から「結局」という言葉が出てきて、将棋の勝負の結果を表示する。


此れに対し、白川博士の説は、「字統jによると、

尺は身を屈している形でいわゆる屈肢葬。肢体をまげて埋葬する形。 口はサイ、祝禱の器で祝詞を示す。屈肢葬のものに祝禱を加えるのは、その死霊 に何らか祈るところがあるのであろう。 説文に「促なり」というのは局と重韻の訓。その字形について、「口の尺下に在るに従ひ、またこれを局す」 とあり、〔段注〕にロを織する意とするが、口形は祝祷の器の形である。古代の葬法としては仰身伸展葬が普通であるが、ときには府身葬や屈肢葬があり、それぞれ何らかの意味が与えられているのであろう。 句は曲身、局はその一層甚だしく屈曲した形で、それに祝禱を加えるのは、呪的な意味をもつ行為と思われる。 局跨の意より、局限・局部・局所・局面 ・局勢のように用いる。
とあり、尺は身を屈している形でいわゆる屈肢葬。肢体をまげて埋葬する形とし、「サイ」という白川博士の説の基本思想とも言うべき「祈り」の言葉を入れる箱を付け加え、死者に対する畏怖を表したものとしている。
そこで。同じく「字統」の中の「尺」の説明の中には、この屈肢葬という記述は全く見られなかった。


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2017年1月3日火曜日

漢字「尺」の起源・由来を「甲骨文字」に探る:人間の二の腕の長さを表し、長さの単位。


漢字「尺」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P389、唐汉著,学林出版社)


 「尺」は指示詞である。金文では簡略化した掌の形である。一本の縦線で掌の縁を表している。即ち手腕のところである。長く湾曲した縦線は手と肱全体を現している。中間の一点は指事符号で手肱の湾曲を表示している。即ち肱の曲げる部分で、全部の字形は掌の端から肱曲げに至る長さを表している。
 《説文》では此れを解釈して、「尺は十寸なり、人の手は十分で、動脈は寸口にあり、10寸で尺となす。」大意は手腕から曲げ肱まで1尺とする。小篆の尺は説には変化があり、楷書ではこの関係から尺となっている。
上古社会では、長さを表す専門の工具はなく、人々が身体の一部を以って測量尺度の標準となした。身体の「尺」は身につけて便利ではあるが、それほど正確なものではない。後には人々は長さを測る専門器具を発展させ、名称は此れを踏襲し、「尺」と称した。
 現在の漢語では漢方医を除き、脈を取る部分を「尺中、尺骨」の類の名称のほか、かなり多くのものが認められる。また尺を用いて名詞を修飾し、「丁字尺、镇尺、戒尺」などがある。また尺は伝統的な音楽の譜に用い、「工尺谱」の符号のひとつである。


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2016年12月31日土曜日

漢字「寸」の成立ちを「甲骨文字」に探る:掌の少し下の「寸口」を指す。


漢字「寸」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P388、唐汉著,学林出版社)


 「寸」は指示語である。古文の中で「寸」の字は「又」の下に短い横棒(一)を加えている。「又」は手の形で、一は指事符号をなし、掌の少し下の場所で、漢方医が脈を見る場所である。又「寸口」と称する。ないし手腕の上経脈穴位の名称である。

 上古社会では人と人の間の接近した殴りあいは結構頻繁であった。寸口のつぼを圧迫し、他人の手や素手、刃を奪うのは基本業であり、個人の生命や守るには重要である。

 また、「寸」には別の意味があり、測量時のながさを計る単位である。古人手腕から肱の曲がる部分までを一尺とした。(これは身に着けた尺度である。)手掌から寸口までの距離を一寸長とした。このことから個人は将に長さを測る単位の名称である。10寸は一尺。寸の距離は短いので、寸は又短い小さなものの形容となった。「寸土、寸歩、寸陰、寸心」等。

 因みに漢字源によると「寸」とは、会意文字で、手の指一本の幅のこととしている。周代は大尺の一寸は2.25cmであった。小尺の一寸は1.8cmであったとしている。


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2016年12月26日月曜日

漢字「入」の成立ちを「甲骨文字」に探る:矢頭を形に表した


漢字「入」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P569、唐汉著,学林出版社)


 「入」は象形文字である。甲骨文字と金文の「入」の字は、矢の頭の刃の形をしている。小篆と楷書はこの一脈を受け継いでいる。「入」は頭が鋭いもので、竹の先のようなものの端の頭。但しさらに形は矢の先みたいに、とがった頭のため容易に物体に差し込まれるものである。このため「入」の字の本義は進入である。 説文の解釈は「入、内」である。「出」とは相反している。
 現代漢文中で踏襲されてきている「入场、入冬、入会、由浅入深」などの言葉で、「由浅入深」の意味は拡張されていて、「出すために、入るを量る」という意味だ。また「合乎」(合致する、かなう)の意味にも拡張されている。
 唐代の詩人の朱庆余の《近试上张水部》:「妆罢低声问夫婿 , 画眉深浅入时无。」の中の「入时」の考えは時に合致するの意味を含んでいるようで、その一つの様式で、「入情入理」(情理を尽くす)などがある。


 因みに「漢字源」(藤堂明保、学研)によれば、この「入」は「指示語、象形文字のいずれにも考えられる。中に突っ込んでいく様を表現したものとある。 」
 唐漢氏の説は、少し飛躍があるように思う。何故、矢の先なのか分からない。甲骨文字からは藤堂氏の案が素直で分かり易い。しかし、これが漢字学なのだろう。



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2016年12月24日土曜日

漢字「矢」の成立ちを「甲骨文字」に探る:鏃、矢竹、羽、括まで含めた象形字。


漢字「矢」の起源と由来
引用:「汉字密码」(P568、唐汉著,学林出版社)

 我々日本人には「矢」という名称が一般的だし、なじみも深い。しかし、ここに引用した解説では、中国では「矢」という名称より「箭」という名称が一般的であるかのような説明がある。実際のところどうなのだろう。もう少し当たってみるが、今日のところはこの説明を一先ず受け入れて、究明は少しの間ペンディングとしておきたい。


出典「汉字密码」、学林出版社
 「矢」は即ち日常的にいうところの「箭」である。弾を射る弓を弾弓という。弓と此れをいる矢は併称して弓矢という。甲骨文字と金文の「矢」の字は上端は鋭利な箭頭で、中間は箭杆、下端は鳥の羽を結わえた箭尾である。矢の字は即ち「箭」の象形字である。小篆は下部の先の羽がいわば変化して、二股になった。楷書はこの関係からついに象形の意味を失っている。
 矢は「镞、杆、羽、括」の4つの部分の構成品から矢の前端で刃のある三角形の殺傷作用を持つ。商代には既に銅製の鏃が盛んになっていた。但し大量の骨、角、石も使われていた。矢のさおの部分は竹が主で、矢竹が製作に多用されていた。矢の尾の部分の矢の羽は飛行状態を安定させる作用を持っている。屋の羽は大鷲の首の部分がよく、鷹の羽はその次で、鴨や梟の羽は次の次だ。雁やガチョウの矢は風があると斜めに蛇行し、質がよくない。矢の底部のくくりの部分は弦を結んで用い、商代には矢の底部に多くはノッチを入れていた。
 矢の字は古代では誓うという意味に用いられた。この事は古代に約束をする時、矢折って互いに攻撃をしない意思を示したことと関係があるかもしれない。
 《左传》の中に「杀而埋之马矢」の中の「马矢」の一語は、「馬屎」のことだ。「馬矢」と「馬屎」とは矢と屎は同音であることによる。古人は文章中に「屎」の語があると品を落とすので「矢」を使ったようだ。この用字法は文字学上「避俗性的同音假借」と呼ばれる。
 「矢」の字は部首字で、漢字中「矢」が組成上あると、大概「箭」と関係がある。


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